オナ禁48日目 おっぱいが大好きだ

自慰禁

おっぱいのことばかり考えている。いつも。街を歩けばすれ違う人のおっぱいを見ている。どんな大きさなのか、どんな肌の色なのか、どんな乳輪なのか、どんな乳輪の色、乳首、肌の質感、産毛、蒸れた汗、ブラジャーでついた跡、柔らかさ、硬さ、匂い、色んなことを想像する。今はやめようと思っているが、気づくと想像していることがある。。

俺は生のおっぱいをあまり見たことがない。俺が見てきたおっぱいはコンピューター上のデジタル視覚データのおっぱいだ。本物のおっぱいによる興奮には敵わないかもしれない。でも、本物のおっぱいによる興奮だって、脳が作り出した興奮だぜ。デジタルデータによる興奮を馬鹿にできない。

犬のおっぱいにも牛のおっぱいにも興奮しないが、人間のおっぱいには興奮し、ときめきを覚え、幸せすら感じる。これは当たり前のようで当たり前のことではない。自分の生存や遺伝子保存に関することだから、興奮するのであって、快の感情を抱く。

不快の感情や痛みしかり。生存や種の保存を脅かすものには不快や痛みを感じす。くさい匂いが不快なのも、痛みが嫌なのも、醜い男を不快に感じるのも、そのためだ。

人間の認知然り。俺たちは自分たちの生存に必要だから知覚、認知できる。目が見えるのも、匂いが嗅げるのも、触った感じがするのも、全部生きるためにそう感じている。言い換えれば、そう感じているに過ぎない。俺たちが感じている世界は、俺たちの生存や種の保存のためというフィルターを通して得た情報に過ぎなく、世界の単なる一つの見え方に過ぎない。ありのままの世界ではない。

国が便宜上、境界を作るように、俺たちの認知も、俺たちと体と内側と外側に境界があるかのように、脳が生きるために便宜上認知させているに過ぎない。害虫も益虫も人間のカテゴライズに過ぎないように、いい匂いもくさい匂いも人間の作り出した感覚に過ぎない。俺たちは粒子の大海を漂う粒子の塊に過ぎない。繋がっては離れ、離れてはつながる。飯を食ったらそれが自分の体になり、髪の毛が落ちても、うんこをしても、体から離れたら自分ではなくなる。ついさっきまで自分だったものが、自分でなくなる。本当は自分なんかない。ゴータマシッダールタが言ってる無我てそんなことじゃないか。いいも悪いも本当は世界にはない。ただ在るだけだ。そしてその存在も世界も無かもしれない。

巨乳おっぱい、色白おっぱい、大きめピンク乳輪、そんなおっぱいを見ていると興奮と幸せを感じる。ゲスな幸せなんかじゃない。人間の幸せてそんなもんだ。仕事の達成感で得る幸せ、友人とつながる幸せ、音楽の感動、好きな人と一つになる幸せ、子供が誕生して得る幸せ、オナニーによる幸せ、みんな錯覚であって、本物の幸せだ。

俺はおっぱいが大好きだ。

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