人生の舵取りを人任せにするな<選択しないという選択>

生き方

みんな言ってることを偉そうに書く。これは自分に向けて書いている。

自分の人生、人にその選択を任せるな。自分で舵を取れ。

組織で働いている人は、誰かが良きに計らい、自分の適性を鑑みて、適正な部署に異動させ、自分に合った仕事を与えてくれるなど思うな。頑張れば、人は自分を見てくれていて、周囲によって人生が開けていくなどと思うな。学生であれば、先生だったり周囲の大人だったり学校だったりが、自分に必要な進路を示してくれるなどと思うな。

人が自分の人生を考えてくれるなどと期待するな。自分のことは自分で考えなければならない。もちろん、親など自分の人生を時に自分よりも心配してくれたりする人はあるだろう。だが、自分のことを24時間考えているのは自分であり、自分のことを一番よく知るのも自分である。

周囲は自分に対して、自分が考えるよりも、全然注目していない。お前の人生なんて悪くいえば、どうでもいい。みんな自分の人生のことを考えるので手一杯だ。自分が他人の人生をどれほど真剣に考えているかどうか、想像してみればわかることなのに、人は皆、周囲が自分に注目していると錯覚している。ほとんど誰もお前の人生のことなんてお前ほど考えてねえ。

周囲の人はお前の人生という舞台の観客じゃない。みんな自分自身の舞台を持ちそこで踊っている。それなのに、俺たちは、周囲の人間が自分の人生を見る客みたいに思ってる。客が注目してると思うな。客などいない。俺たちは一人一人が主役だが、究極一人きりなんだ。

でもだから、人のために自分の選択を躊躇う必要も、恥ずかしがる必要もないんだ。他人の人生を生きるな。自分の人生を生きろ。人のために生きるな。自分のために生きろ。他人のためにとか、周囲のためにとか、勘違い野郎、自意識過剰のオナニー野郎になるな。

自己中心的になれという意味ではない。他者貢献を否定するものではない。余談だが、石原慎太郎と三島由紀夫は、人間の美徳で最高に美しいのは自己犠牲による他者愛であるようなことを言っていたと記憶している。だがそんな石原も三島も、他者愛は自己愛のもとに成り立つものだと考えているはずだ。自分の人生を生きなければ、他者への貢献などできやしない。自分を愛することができなければ、他者を愛することなどできやしない。

話戻って、選択をしないことで、選択を人任せにするな。選択をしないという選択をしているのだ。選択をしないことで、可能性を留保しているなどと思うな。誰かに選んでもらうのを待つな。人生の可能性は確実に狭まっていく。自分で人生の舵を取るんだ。自分の人生を航海できるのも後悔できるのも自分しかいない。

コメント

最近のコメント