【青春スポーツ小説】「この世に女はいないと思え」第6話 

スポーツ小説

落ち込む春也の気持ちとは無関係に、夏の練習は連日続いた。春也はなるべく同学年の連中と話したくなかったので、練習後にはいつも皆で行く夕食にも銭湯にも付き合わず、そそくさと帰って行った。そんな春也に皆気付かぬはずはなかったが、同期も先輩も特段励ましや慰めの言葉を掛けてこなかったし、何かに誘うということもなかった。春也もその方が気が楽だった。ただ一人、同じポジションのリーダーである4年の杉田がトレーニング場で声を掛けてきた。

「春也、今日時間あるか。今日ウエイト終わったら、めし行くか。」

なるべく一人でいたかったが、先輩の誘いを用もないのに無下に断るのには気が引けて、行くことにした。食べ放題の焼肉屋に行き飯をたらふく食べる。先輩はいつもそうするように、たくさん食えと勧めた。春也は杉田と2人きりで話すことがこれまでなかったので、焼肉屋で何となく気まずいものを感じ、努めて明るくふるまった。自分ではどうでもいいと思っていることを話題にし、大して面白くないことに笑った。

「別に無理してしゃべらなくていいぞ。はっはっは」

杉田にそう言われ、

「別に無理なんかしてないですよ」

と返したものの、何だか自分の気持ちが見透かされていたようで、春也は自分が情けなくなった。

「めし食ったらおれんちにこいよ。」

杉田の家に行って一体何をするのか分からなかったが、誘われるまま行ってみると、部屋の中はアメフトのポスターやらビデオばかりだった。杉田はいきなりビデオを再生すると、画面にはいつもの練習風景が映る。自分の動きでも確認し、指摘を受けるのかと思っていたが、画面には見覚えのない選手が多く映っていた。

「これはおれが1年の頃のビデオだよ。今ボール持ったのが吉倉。あいつこの頃から凄えだろ。」

杉田は言う選手を見ると、体つきが今よりこころなしか細いが、たしかにその動きは吉倉のものに違いなかった。ディフェンスの間を縫って走っている。

「そんでこっちが盛田。こいつは変わらんなあ。ははは」

盛田というのは杉田と同じ4年の選手で、体は細かったが、チームで最も俊足の選手のひとりと言われており、いつもディフェンスを凄い速さで抜いていく。杉田が言うように、ビデオの中の盛田の体型は変わっていない。

「これが俺」

3年位前の杉田だという選手を見て、春也はそれが隣にいる杉田であるとにわかには信じられなかった。杉田と言えば、身長こそ春也と同じくらいであるものの、筋肉隆々、表情、動作にはいつも自信が溢れていて、昨年初めてトレーニング場で、重りを持ち上げている杉田を見た時には、漲る筋肉を持ったバランスの良い体型、太い眉を持った男前の目鼻立ちを見て、なんと格好良い男だろうと春也は感じたものだった。杉田は鋭いフェイントでディフェンスを抜いていくカットバックを武器に、特に敵の密集地帯を走り抜けていくのを得意としていた。しんどい練習中でも笑顔を絶やさぬこの男は、チームのムードメーカー的な存在でもあり、エース吉倉やその他の4年選手を従えてポジションのリーダーをやっていることでも分かるように、チーム内での信頼も厚かった。試合中、ここぞという場面では、なぜかいつも杉田がボールを任されていた。

「しょぼいだろ。見ていて恥ずかしくなるな。」

3年前の杉田の姿は、杉田自身が言うように「しょぼい」と形容するのがぴったりだった。ボールを持っても、どこに走ってよいか、何をしてよいか分からぬかのように、のろのろと走りだしては、おそらく当時の上級生と思われるディフェンスの選手に簡単に倒されている。大体、ボールを持たずに立っているだけでも垢抜けない。周囲の体の大きな選手に混じると子供のように細い体は、やや猫背で、それがまたその男を自信なく見せる。練習着の着こなしまでもが格好悪かった。体幹の筋肉が不足しているためか、走り出すと上体が起き上がる様子は、まるで自分の走る映像を見ているようだと春也は感じた。

「おれはこの頃、すごく練習に行くのが辛くてな。肉体的にもしんどかったが、精神的にもしんどかった。周りの1年はどんどん辞めていくし、残ってるのはすごい奴らばかりだし。おれは吉倉みたいには絶対なれないと思った。そもそも体格も全然違うし、運動センスだって違うからな。かと言って、盛田みたいなスピードが俺にあるわけでもない。才能も体格も無いな俺、と思ったよ。毎日、ディフェンスに吹っ飛ばされて、どうしたらいいか分からなかった。」

春也はビデオから目を離し、横に座る杉田を見て、

「それで、それから、どうしたんですか。」

食い入るように聞いた。

「お前のように食ったよ。おれも元々胃が小さいからな。何回にも分けて食った。一日5食は食った。馬鹿みたいにウエイトトレーニングもした。練習に加えて、一人で走り込みもした。本で読んだ敏捷性を高めるトレーニングとかもやってみた。でも変わらなかった。何のためにこんなことやってんのかな、俺。もう辞めようかなと思ったこともあったよ。」

「でも続けたんですよね。」

「うん。その時の4年の先輩がな、笑いながら俺に言ったんだ。『何のためにやっているのかなんて考えなくていい。そんなことは考えるだけ無駄だ。だが、何のためにやってないかは考えなくても分かる。お前は、吉倉のようになるためにやってるわけじゃない。誰かになるために、追いつくためにやってるわけじゃない。吉倉だって、例えば黒人選手と比較したら劣る。上には上がいる。問題は誰と比較するかじゃない。自分がどこまでいけるかだ。自分との戦いなんだ。ただ、何のために自分とこんなに戦わなきゃならんのかは、分からん。何のためにやっているのかなんて、やってから分かることだ。やっても分からないことかもしれん。別に分からなくてもいい。とにかくやってみることだ。なんで生きてるか分からんように、なんで部活をやっているのかもわからん。それでいいじゃないか。』」

しばらくの沈黙を挟んで、

「でも、杉田さんは変わりましたね」

と春也が聞くと

「今だって、自分が変わったという実感はあまりないな。ビデオを見ると少し体がでかくなったのと、動きに慣れたせいかおどおどしている感じがなくなったくらいだ。根本的な運動能力とかは何も変わらない。」

ビデオの中の杉田はやはり別人に見えたが、杉田はそう答えた。

杉田の家からの帰り道、春也は何度も、ビデオの映像と杉田の言葉を思い返した。杉田が自分を励まそうと、今晩誘ってくれたのは明らかだった。先日の練習で、杉田は1本目に負けた南野に、回る順番を変えてまで挑みリベンジしていたのを思い出す。自分もいつかああいう風に闘志を持って荒藤や他の体の大きな同期に挑んでいけるようになるのだろうか。そう思いながら、橋のたもとで歩みを止め、その下を流れる浅野川の流れを春也はぼんやりと見つめた。同じ市内を流れる犀川は男川、浅野川は女川と呼ばれており、大きな川幅を持ち、時に荒々しく流れる犀川とは対照的に、浅野川は比較的川幅も狭くゆったりと流れていた。夏の夜の風に、川を流れる水の音をかすかに乗せて、浅野川は春也の気持ちを優しく包んでくれるかのようだった。橋の欄干にしばらく凭れて川面を見つめていた春也は、何かを思いついたかのように、顔を上げ夏の夜空を見上げた。まだ青年とは呼び難い、少年のような顔つきの男の目の中に、金沢の夜空に浮かぶ星が映っていた。

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