【青春スポーツ小説】「この世に女はいないと思え」第3話 

スポーツ小説

翌日の放課後、長い階段を上り、アメフト部の練習するグラウンドに着くと、そこは全く別の世界だった。大勢の鬼や金剛力士やらが大声を出して体をぶつけ合い、どの体からも湯気がもくもくと立ち上っている。防具をつけた体は、昼間見るよりもさらに大きく見えた。昼間の大男達がそろって防具をつけて、何やら変身でもしたように見える。ヘルメットのせいで顔がよく見えぬ分、表情の無い狂気じみた集団に見えた。一人の金剛力士が声を張り上げれば、それに呼応して怒号がグラウンドの方々であがる。声の行方を見れば、石像同士がぶつかるような大きな音をたてて男達がぶつかり合っている。桜が散るグラウンドの中で、疾走する鬼、天狗、金剛力士、見渡せば50人くらいの男達がグランドに散らばっていた。

化け物達にも種類があることが分かる。縦も横もデカいもの、縦に長くすらっとしているもの、ずんぐりむっくりしているもの、様々な種類の異形の大男達がいた。大方の男の体がでかかったが、中には背も体格も小さいものが混じっていた。その体に合わせてか、動きも違う。特別体の大きな一団は円陣を作り、その中心で力比べをするかのように順番に1対1でぶつかりあっては、その度に称賛とも野次とも判別のつかぬ大声があがる。手足の長い天狗達がグランドを縦に疾走し、放たれた楕円形の球を高く跳んで捕獲すると、そのまま空中を足で掻いて、天に向かって走っていくかのように見える。グランドの中央ではずんぐりむっくりした鬼の集団が、2手に分かれて、走り出し、その中心で勢いのついた衝突を黙々と繰り返している。その隙間を縦横無尽に縫うように、俊敏な韋駄天達が何度も駆け抜け、その度に春の風がグラウンドを囲む木々を揺らした。そこだけ別世界のように、山々の合間に浮かぶグラウンドで、若いもののけ達が跳梁跋扈していた。

隣で一緒に見ている荒藤に話しかけることも忘れて、しばらく呆けたように春也はその光景に見とれていた。この集団に自分も加わりたいと思う。50人程の男達がグラウンドの中央に駆けて集まり、その中心でひときわ大きな大男が大声を上げると、それを囲む男達が一斉に人差し指を天に向けて咆哮した。

その大声が練習終了か中断の合図だったのか、部員達の円陣は崩れ、ずんぐりむっくりした体型の男が春也達の方に向かってゆっくりと駆けてきた。

「おお、来てくれてたんやな。他の一年も何人も見に来てるから、そんな遠いところじゃなくて、近くで見とったら良かったのに。おお、この背の高い彼が、ラグビーやってたっていう友達か。ええなあ!ええ体しとる。すぐ試合出られるで!」

練習の余韻で目を爛々と光らせて、その男は春也と荒藤に向かって大声で話し掛けた。日中の中年男とはまるで別人のようなので、春也は気が付くのにしばらく時間がかかったが、その男は毎日授業中も勧誘活動をしている南野という3年の先輩だった。南野の筋肉は漲り、体全体が若返り生き生きしているようだった。南野に話しかけられ、荒藤は

「はあ・・」

等ととぼけた返事をしていたが、南野に促されるまま、2人はフィールドのすぐ横のベンチに移動した。

ベンチに移動すると今まで隠れて見えなかったが、20人以上の新入生が来ていた。すでに何度も来ており入部を決めているのか、運動着姿の者も多い。すでに部員達と同じような体を持っているが穏やかそうな者もいれば、細いがやたらに俊敏そうで鋭い顔つきの者など様々だった。ただ、やはり皆これまで運動部に所属していたような雰囲気を持っている。春也は高校のサッカー部に入部した時と同じように、こんな奴らと自分が一緒にやっていけるのかと不安を感じた。

 

日が沈み、暗くなったグラウンドで一年は一人ずつ自己紹介をすることになった。フィールド中央に置かれたビール箱の上に1年が一人ずつ立ち、その1年の周囲を50人ほどの先輩部員と残りの1年がぐるりと囲む。どの1年もやけに精悍そうに見えて、春也は怖気づいた。1年の自己紹介に大勢の部員達がちょっかいを入れ、笑い声があがる。春也は自分の番が来るのを、動悸を速めて待っていたが、実際自分の番が来ると堂々と大きな声で話せたと思った。

「169cm56kgです。体は小さいですが、頑張りたいと思います。」

「細いなあ。これから食えよ。高校の部活は?」

大声で質問が飛ぶ。

「サッカーをやっていました。」

「いいな。走れそうだな。」

春也の次に、荒藤が輪の中央に立つと先輩部員から歓声が上がった。

「おぉ、また背が高いの来たな。いいねぇ。手足が長げえな」

「理学部1年の荒藤です。」

荒藤はやや甲高い声でそれだけ言うと、照れたように少し笑った。荒藤に質問が飛び、荒藤がそれに応える度に、先輩達は大げさな歓声を上げた。

自己紹介が終わり、体育館でのウエイトトレーニングに参加した後、大学近くのおかわり無料の食事屋に10名くらいの先輩が新入生を連れて入った。まだ夏でもないのにやけに薄着で大柄な集団の来店に周囲の客は好奇の目を向けていたが、先輩達は何も気にすることなく店内に入っていく。先輩たちは競いあって白米をおかわりし続け、新入生にもそれをしつこく勧めた。おかわりのために、何度も何度も呼びつけられる若い店員は、最初迷惑そうな表情をしていたが、途中からはその表情も消え、大食漢の男達に驚いている様子だった。その男だけの集団を見渡せば、ある者は寡黙に黙々と、ある者は大きな声で笑いながら米を周りにこぼして、皆が無理やりメシを詰め込んでいる。新入生までもが、すでに感化されたように、自分は何杯食べました等と近くの先輩に告げると、先輩達は笑って、

「まだまだだな、もっといけるぞ。おれもいくから、おまえもいけ」

などという会話がそこかしこで聞こえた。Tシャツから伸び出た逞しい上腕が乾いた泥で汚れている。昨夜のお洒落な飲み屋での会合と比較して、同じ大学生でも随分違うものだと、春也は感慨深く思って、自身も目の前の白米をいたずらに勢いよくかきこんでは、隣にいた先輩が笑って褒める声を快く感じていた。

帰り道、すっかり暗くなった金沢の街を、寮に向かって荒藤と2人自転車をゆっくりと漕いでいると、

「お前、頑張りますとか言って、もう入ること決めたのかよ。」

と荒藤が聞く。

「いや、まだすっかり決めてないけど、まあ、入ってもいいなとは思ったよ。」

「そうか。でもよ、まだちゃんと決めてないなら、あんまりその場だけで調子のいいこと言わない方がいいと思うぜ。自己紹介なんかさせられて、それでなくとも、もう俺らが入部することが当然みたいな流れになっている。」

たしかにその通りだと、自分はいつも調子がいいと春也は思う。

「ああ・・・そりゃ、そうだな・・。でも、おれやろうと思う。やるしかない。」

軽率な男だと思われるのが嫌で、ならばいっそ決めてしまおうというつもりになった。グラウンドでの練習、ジムでのウエイトトレーニング、先輩達との食事の余韻がまだ残っていて、春也は幾分興奮気味だった。横を見ると自転車を漕ぐ荒藤の後ろに、ライトアップされた石川門と桜が青白く見えた。

――そうだ、おれはやるしかない。おれは挑戦するんだ。――

春也が心の中で思っていると、

「おまえなあ、高校まで運動してたら分かると思うが、大学の体育会てのはしんどいぞ。ここは国立だから、まだましか知らんが、基本的には変わらんだろう。いいか、部活なんか入ったら何もできないからな。毎日、毎日ただ練習だけだ。練習が終わっても無理やり食いまくっている。見ただろ、奴らを。ただ黙々と食ってる奴らもいただろ。あれは我慢して食ってるんだからな。なんで我慢して食うか分かるか?おれはラグビーをやっていたから分かる。太るためだよ。当たり負けないようにな。筋肉でも脂肪でもあんなにパンパンに膨れたら、ほとんどの女は気持ち悪がる。膨れなくても、元々週末もない。毎日疲れて帰って寝るだけだ。お前はそれをわかって言ってるんだろうな。おれは高校で部活引退して、ああこれでやっと終わったと思ったんだよ。また同じしんどい思いをなんでしなきゃならんのだ。」

荒藤の口調は途中から熱を帯び、まだ入部したわけでもないのに、本当に悔しそうな表情でまくし立てた。いつか2人は自然に自転車を漕ぐのをやめて、降りて歩きながら会話していた。照明に照らされたレンガ作りの四高記念館が、ゆっくりと2人の右手を通り過ぎて行き、春の宵の風が肌を優しく撫でた。春也は黙って考えた。

――おれは何も知らん。そうかそんなにしんどいものなのか。高校の部活に挫折した俺ができるもんじゃないのか。――

挑戦する等と興奮していた自分が甘く思えて恥ずかしくなった。少しの沈黙を挟んで、荒藤が興奮した口調で続ける。

「くそ。やるしかないのか。おれだって、お前の気持ちは分かる。昨日のサークルみたいに、あんな中途半端な大学生活を送りたいとは思わん。でも、だからといって。ああ、もうやるしかないな。バイトをあまりしなくても、奨学金で何とか切り詰めたらいけるか。畜生、よし、やってやるよ。やったらいいんだろ!」

やけ気味な口調で、それでいてどこか清々しげに、理由は分からぬが決心したような荒藤を、春也は横で見ながら、先ほどの羞恥心を忘れ、すっかり気持ちを高揚させていた。暗い春の宵に浮かび上がる天狗のような荒藤の体躯を見上げて、この男の体格はもう既にほとんどあの一族のものではないかと思う。そして、その荒藤に

「おれだって、お前の気持ちは分かる」

と言われ春也は酔っていた。これまで運動を続けてきた男のみが共有できる感情を自分が持ち得たように感じ、荒藤に同等の男として扱われたことに酔っていた。

――おれもそういう男に見える。おれもできるんだ。――

そう春也は心の中で繰り返した。

「そうと決まれば、こんな金沢の繁華街ともおさらばだな。今後だらだらとこんな繁華街を通らん方がいい。未練が残る。」

と、香林坊から片町へと続く小さくも北陸一の繁華街を顎で指して荒藤が言う。兼六公園から香林坊の交差点に近づくにつれ、春の夜の暖かさに連られて出てきたのか、若い女やカップル達が大勢通りを歩いていた。肌の黒い天狗のような男と、背が低く牛蒡のように細い少年は、無言の了解があったように頷いて自転車に跨ると、勢いよく自転車を漕ぎ始めた。デパートの宝石店や街の飲食店からきらびやかな照明と原色のネオンが通りを照らす。街の人の笑い声や酔っ払った橙色の喧騒を、その2人の少年は自転車で風のように走り抜けた。2人の若者の左右を、ネオンと人間が交じり合って虹色の線となって通り過ぎた。

片町をすっかり通り抜け、犀川大橋に出ると、橋の真ん中で荒藤は止まり、後ろについて自転車を漕いでいた春也も、自然に止まる形となった。自転車から降り、橋の欄干に体をもたれて犀川を上から覗くと、夜の闇の中で、黒々した犀川が流れている。ところどころ、左岸の街のネオンをきらきらと反射して、川の水面が光っていた。流れに目を落として荒藤は独り言のように言う。

「なかなかいい流れだな、犀川というのは。悠々と流れている。騒がしい片町のすぐ横を通り過ぎるこの場所でも変わらない。このまま間もなく日本海につながるんだろ。俺たちもこういう風でなきゃならんな。」

春の生暖かい風に吹かれながら、そう言って犀川を見下ろす男を春也は頼もしく見上げた。先ほどまで感じていた部活への不安は消え、

――おれはこれからだ、これから変わっていけばいいんだ。――

そう思って顔を上げると、闇の中で白く雪をかぶった山が眼前遠くに見えた。

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