【青春スポーツ小説】「この世に女はいないと思え」第26話

スポーツ小説

2年前、ドアを開けなくても、春也が居留守を使うようになっても、部屋の中に春也がいると決めつけて、荒藤は薄い木製のドア越しに、毎回春也を罵った。時にふと

「すまん、言い過ぎた。悪かった。まあ練習来いよ。1回顔出してみれば、何もなかったように続けられるって。な。だから明日の練習来てみろよ、な。」

等と優しげな口調になったりもしたが、数分の後には再び、

「一日中何もせず部屋に籠りやがって、てめーは人間のくずだな。」

等と大抵元の調子に戻って怒鳴った。春也は真っ暗な部屋の中で、うずくまって荒藤の言葉を聞いていたが、落ち込んだ気持ちの中にはどんな言葉も入ってこなかった。

 一か月近く経って、部屋にずっと籠っているのも辛くなり、部からも荒藤からも逃げる気持ちで、ある日行き先を決めずに、少しの着替えと金だけを持って昼間の内に金沢駅から電車に乗って街から出た。鈍行電車で移動し、野宿をしたりして、幾日目かには鹿児島に着いた。金沢を出て3日経った頃、携帯に荒藤からの電話がかかってきたが出ずにいると、何遍も繰り返し着信があったので、電源を切ったままにした。その前日まで、おそらく荒藤は、春也が部屋にいないとも思わずにドアの前で怒鳴っていたのだろうと想像し、春也はいい加減にしてほしいと思うと同時に何だか申し訳なくなった。

 鹿児島からフェリーに乗り奄美大島へ渡ったが、特段何の目的もなかった。途中で働く人達を見ては学校も部活もさぼり、意味もなくふらふらしている自分を恥ずかしく思ったが、やる気というものが全く湧いてこなかった。奄美大島にいてもやることはなく、民宿に泊まって毎日朝から晩までただ近くの砂浜から海を眺めていた。金沢を出て一週間近くが経った頃、奄美大島の夜の真っ暗な海岸で、ふと携帯電話の電源を入れてみると、闇に浮かぶ蛍のように携帯電話が発光し、留守番電話の着信と録音メッセージの受領を知らせた。

「お預かりした メッセージは 10 件です。」

打ち寄せる波の音に消されぬよう、耳を携帯に強く押し当て聞くと、春也の携帯が保存できる最大数までメッセージが溜まっていることを機械の音声が告げた。ピーという音に続いて、

「おい、電源切ってんじゃねーぞ。ふざけんなよ。部屋にいんだろ。出てこいおら。」

荒藤の録音したメッセージが流れた。その次のメッセージも荒藤からで、

「しょぼいんじゃ、てめーは。どこに出掛けてんだ。明日練習来い。一生腑抜けで終わっていいんか。絶対来いよ、分かったな。チッ。」

「おい、お前このまま部活辞めたら、この間買った新しいエナメルのスポーツバッグ、一生使うなよ。お前みたいな奴にはあのスポーツバッグ使う資格ないわ。これから学校で会っても、お前のこと無視するからな。俺だけじゃなく、部の奴ら全員に無視させる。嫌なら明日から練習来い。いいなっ。」

「いつまでやってんじゃ、てめーは。たいがいにしろ。そうやっていつまでも無視できると思うなよ。この後の人生ずっと逃げて、隠れて生きるつもりか。情けない。このチンカス野郎が。」

立て続けに荒藤からの留守電メッセージが流れたが、どのメッセージも大声で、早口でまくし立てていた。荒い息遣いと舌打ちが随所に聞こえていたが、次のメッセージでは急にしんみりとした口調になって、

「おい、どこにいる。今日お前の下宿のおばちゃんに頼んで部屋の鍵開けてもらった。どこにいるのか連絡寄こせ。」

その後、意外にも実家の母親からの声が録音されており、

「春也、折り返し連絡ください。今日、春也の友人と名乗る人から電話がありました。何だか怪しい感じで、『友人の者ですが、春也くんはそちらに行ってますか。』といきなり怒ったように聞くのよ。『いいえ、春也は今こちらにはいません。どちら様ですか』と聞き返したら、『じゃあ、いいです。』てすぐに電話切ったのよ。大丈夫だとは思うけど、怪しい人が多いから気をつけてください。心配なので念のため連絡してね。」

と言う。実家の電話番号などどうやって知ったのか分からぬが、その電話の感じからしても、荒藤が実家に電話したに違いなかった。もう一件続けて母親からメッセージがあり、

「さっき、今度は佐崎さんという人から電話がありました。春也、あなた金沢にいないの?どこにいるのか、必ず連絡してください。大学の皆も心配しているようよ。お願いします。」

その佐崎から今度はメッセ―ジが入っており、

「春也、どこにいる。皆心配してるぞ。俺、お前のこと駄目人間とか言ったけど、俺はお前のこれまでの頑張り、評価してる。だからこそ何か悔しくて、そう言ってしまったんだ。どこにいるかだけでも、連絡しろよ。」

佐崎からの録音メッセージの後ろで、

「あんまり甘やかすこと言うな。完全に駄目人間だ、あいつは。」

と、荒藤が怒鳴っているのが微かに聞こえた。別の同期の部員から、

「春也、戻ってこいよ。杉田さんも、みんな待ってる。早く練習来い。」

というメッセージがあったが、その後ろでもまた荒藤の声がして、

「おい、もっと何かあるだろ。何か言えよ。あいつの気持ちを変えるような何か。表現力がねえな。お前はそれでも文学部か。」

と録音している部員に対して怒鳴っている。春也の携帯ではメッセージは10件までしか保存されなかったので、それ以上の録音メッセージはなかったが、電源をオフにしていたその後の期間にも荒藤からの着信やら、大勢の部員からの着信が記録されていた。こんなに大勢の部員達から電話がかかってくるなど、荒藤が部員達に電話するようにせっついたのだろうが、春也が自殺でもしかねないとでも皆思っているのだろうか。真っ暗な砂浜で座り、そんなメッセージを聞いていると、何だか可笑しくていつの間にかひとり小さく笑っていた。試合で続けて大きなミスをして部活を辞めると決めてから、随分長い間笑っていなかった。可笑しくて笑っているはずだったのに、いつの間にか途中から滴が頬をつたって砂浜に落ちた。

 気持ちを決めて、奄美大島から金沢に帰ってきた翌日、1カ月半ぶりに練習に顔を出した。辞めると言って、ずっと練習に行っていなかったので、皆に合わせる顔がないと思いつつ、恐る恐るグラウンドに出ると、その場で着替えていた何人かの部員達は皆、春也の出現に驚いた感じで、一瞬沈黙が流れたが、そこにちょうど更衣室から出てきた荒藤が春也を見つけると、唾を地面に吐き捨てた後、舌打ちをし、はにかんだような妙な笑顔になって言った。

「やっと来やがったか、能書きチビが。練習でしょぼいことやってるとしばくぞ。」

それが合図であったかのように、そこにいた多くの部員達も笑顔になった。

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