【青春スポーツ小説】「この世に女はいないと思え」第24話

スポーツ小説

(八)

 あいつはそうやって部活を辞めていったんだ。荒藤ははっきりしない頭で、春也のことを考えていた。大事な試合中になぜ春也のことが頭に浮かぶのか分からなかったが、先ほど、不本意な形で交代を指示されてサイドラインに戻ってきてから、春也のことがやたらと頭に浮かぶのだった。頭に靄がかかったようで、先ほどの自分のプレーのことを思い出そうとしても、よく思い出せない。それでいて、試合とは関係のない春也の事などが勝手に頭に浮かんでくる。春也のことなど考えている場合ではないと分かっているのだが、春也のことが頭から離れなかった。その試合は4年の先輩達がずっと目標にしてきた重要な試合であり、何としても勝たなくてはならない試合であるはずだった。部活を辞めていった春也のことなど考えている余裕はないはずで、試合に集中すべきであった。交代させられた理由はよく分からなかったが、こんな風に春也のことなど考えているから、自分は交代を命じられたのかもしれないと荒藤は思った。

 ベンチに座っていると体がやたらと冷えて、体がぶるぶると震えた。11月末の試合であったので、春也が部活を辞めてから二か月あまりしか経っていないはずだったが、あれからもっと長い月日が流れたように荒藤は感じていた。ひょっとすると春也が今日の試合を隠れて見に来ているかもしれないと思い、荒藤は観客席の中に春也の姿を探したが見当たらなかった。観客席の中で、見覚えのある気がする女がふいに立ち上がり、観客席から歓声が上がったので、荒藤がフィールドの方を向き直すと、杉田がボールを持って密集地帯から抜け出して走っているところだった。杉田は相手選手にタックルされてもなかなか倒れずに長い距離を稼いだ。オフェンスはこの試合、ボールを吉倉と杉田に集中させているようだった。吉倉がボールを持つ際には、杉田がその前を走り、相手選手に勢いよくぶつかっていくことで、吉倉の走るルートを確保しており、自分のチームへの贔屓目なしでも吉倉と杉田のプレーは息の合ったコンビネーションに見えた。信頼関係があるからこそ、できるプレーだった。吉倉はいつもの快速とパワーでどんどんボールを前に進めていったが、その日は杉田も負けていなかった。身長こそ低めであるが、ウエイトトレーニングで鍛えあげた体は、重心がしっかりと安定し、相手と接触しても簡単に倒されなかった。以前の杉田の走りのイメージは、どちらかと言えばフェイントをうまく使って相手に当たらぬように走っていくというものだったが、その日の杉田の走りはもっと泥くさく、相手に接触しても倒れないという性質の走りだった。泥臭く不器用な走りであったが、以前より一回り大きく見える杉田の体はいつにも増して頼もしく、敵選手の中に躊躇なく突っ込んでいく様は美しいとすら思えた。杉田とはこういう選手だったのかと、荒藤は杉田という選手に改めて感心する思いで、試合に見入っていた。杉田の体が以前より大きく見えるせいか、吉倉の体がいつもより小さく見えるくらいだった。杉田や吉倉と比べて、彼らと同じポジションであった春也はなんと情けないのだろうと思う。

 「お前らには俺の気持ちは分からない」

 春也は部活を辞めていく際、そんなことを言っていたが、荒藤はそれを思い出してまた腹が立った。お前の気持ちなど分かりたくもない、分かってたまるかと荒藤は思う。俺はお前とは違うんだと、荒藤は中高生の頃の自分を思い出した。荒藤は成長期に、背ばかりが先に伸びて体が細く、産まれたての仔牛のような体だと、入部したラグビー部の顧問から言われた。体の大きな先輩や同学年の部員達に何度も吹っ飛ばされた。足も速くなく、運動センスもいまいちで、取り柄と呼べるものが無かった。

 大学で入部した頃、春也を見ていると無性に腹が立った。ひょろひょろと弱そうなくせにいきがった態度で、そんな態度を取るくらいだから、運動能力には自信があるのかと思っていると、足も遅く、動きもまるで駄目だった。まず頭でっかちで猫背気味の見た目からして無様でみっともなかった。練習中、部員達に何度も簡単に吹っ飛ばされる姿は何とも情けなくて見ていられなかった。それでも、自分のそんな情けない姿に気が付かぬのか、馬鹿の一つ覚えのように思い切りぶつかっていっては何度も同じように倒されていた。

 気付いていたのかは分からないが、春也は後輩にも軽く見られていた。いつだったか、春也が後輩からどう思われているのか気になって、練習後の更衣室で後輩に聞いたこともあった。

「あいつ、相変わらずしょぼいな。正直なところ、お前もあいつには勝ってると思うだろ。足も遅えし、弱いし、下手だし。今日などボールまでぼろぼろと落としやがって。ありえないミスしてただろ。」

「いや…。」

荒藤が聞いても、はじめ、後輩の部員は何も言わなかったが、

「正直に言え、あいつのことしょぼいと思ってんだろ」

荒藤が続けて聞くと、

「うーん、正直、そうっすね。春也さんは足も遅いし、体も小さいし、運動自体苦手なんじゃないすか。今日もミスしまくってましたし。正直しょぼいっす。」

と後輩部員は答えた。荒藤は半ば自分が強引に答えさせたくせに、

「お前調子に乗ってるんじゃねえぞ。」

と言って、隣でシャワーを浴びている後輩に近づき怒鳴った。

「荒藤さんが言えって言ったんじゃないですか。それにカーテン開けていきなりこっちに勝手に入ってこないでくださいよ、真っ裸じゃないっすか。」

荒藤はしばらく黙って後輩を睨みつけた上で、

「おれはあいつのことを理解した上で言っている。お前は何も分かってない。」

と言った。荒藤は自分でもよく分からなかったが、春也が馬鹿にされているのを聞くと無性に腹が立った。成果が出なくても練習やトレーニングに励む春也に対して、評価をしていた部員もいたが、それも上から目線の評価のように思えて、荒藤は気に食わなかった。成果の出ない春也の頑張りを見るのも虫唾が走ったし、かと言って、春也が諦めて部活に来なくなった時にはそれ以上の苛立ちを覚えた。

 荒藤は、そんな試合とは無関係の出来事の回想に心を奪われていたが、気が付いてフィールドに視線を戻すと、味方のオフェンスは敵陣ゴール前で惜しくも止められ、攻守交代になるところだった。已然、頭がはっきりせず、試合の状況がうまく飲み込めなかったが、次の相手の攻撃は是が非でも止めねばならないということだけは何となく感じていた。交代の指示が出たわけではなかったが、荒藤はふらふらとベンチから立ち上がり、フィールドに出ていった。途中、コーチに何事か話しかけられたが、内容がよく分からなかったので、ただ頷いてそのままフィールドに出た。フィールドから出てくるオフェンスチームの連中とすれ違うと、その一団の中にいた杉田が、

「荒藤! 大丈夫なのか! 頼むぞ!」

と顔をやたらに近づけ怒鳴ってきた。なぜ杉田が自分に大丈夫かと聞くのか分からなかったが、普段話す機会の少ない杉田がわざわざ自分に「頼むぞ」と言うあたり、やはりここは必ず止めなければならない重要なディフェンスの局面なのだろうと改めて思った。

 プレーが始まっても、已然頭がぼんやりとして、気付くと相手オフェンスにじりじりと進まれていく。どうにも自分の体がうまく動かず、自分が何をすべきかすらはっきりとしない。動く度に周りの景色がぐらぐらと揺れる。

「荒藤、お前、分かってんのか!」

プレーの合間にチームメイトからそう怒鳴られて、自分がミスでもしたのかと考えたが、大きなミスをしたとは思えなかった。ただ、先ほどからやたらと自分の方にばかりに敵のランニングバックが突っ込んでくる。大丈夫だ、俺は分かっている、目の前のオフェンスを止めればいいだけだ。複雑なことじゃあない。荒藤はぶつぶつと呟いて、自分の持ち場に戻ったが、次のプレーでもその次のプレーでも、相手オフェンスがボールを進めるのを許した。朦朧とする意識の中で、相手チームのランニングバック、背番号9番がボールを持って何度も繰り返し自分の方へ向かって走ってくる。荒藤は反応が遅れて、追いすがる形でやっとその背番号9番をタックルしていた。相手の攻撃が続き、気が付くと、既に自陣のゴール前まで進まれ、このままでは相手に得点を許す状況だった。相手の9番は馬鹿の一つ覚えのように、已然として荒藤のところにばかり突っ込んでくる。

 再度9番にボールが渡り、荒藤の構える方向目掛けて、突っ込んできた。目の前に迫りくる9番の姿が、何度吹っ飛ばしても馬鹿みたいに突っ込んでくる春也の姿にふいに重なって見えると、荒藤は急に頭がはっきりし、体に闘志と力が込み上げてきた。

――俺はお前のようなチキン野郎じゃない。観客席で見ているなら、見ていろ。――

自陣ゴール前で、荒藤はその背番号9番に向かって一直線に突っ込んでいった。

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