【青春スポーツ小説】「この世に女はいないと思え」第22話

スポーツ小説

(七)

 今度の試合に向けて、春也は焦っていた。というのも、合宿が終わってから、体がどうにも思うように動かなかった。合宿後の一週間は、おそらく溜まった疲れが、どっと出ているだけで、じきに合宿の時と同じように体も軽くなるだろうと楽観的に考えていたが、一週間経っても体はやけに重いままだった。合宿の時に感じた成長しているという感覚は露と消え、走れば体が重く感じ、スローモーションでしか手足が動かないように感じる。にも関わらず、相手と当たると自分のヒットはやけに軽く、簡単にふっとばされた。さらに、自分の体の動きのまずさに気をとられ、単純なミスを連発した。練習を録画したビデオを見ても、自分の走り方や動きがまた元の通り、無様に見えた。

 試合5日前の練習で、自分でも大失態と分かるミスを何度も繰り返し、練習後ひどく沈んだ気持ちで一人帰途についたが、途中で練習着を忘れてきたことに気が付いて更衣室に戻ると、シャワールームの中から荒藤と1年の部員の声が聞こえてきた。春也と同じポジションの1年部員と荒藤が会話する声のようだったので、沈んだ気分を変えるためにも、やはり荒藤達を誘って一緒に飯でも行こうかと考え直し、シャワールームのすぐ前まで近寄ると、荒藤の声で、

「あいつ、相変わらずしょぼいな。正直なところ、お前もあいつには勝ってると思うだろ。足も遅えし、弱いし、下手だし。今日などボールまでぼろぼろと落としやがって。ありえないミスしてただろ。」

「いや…。」

1年の部員は何も言わなかったが、荒藤が続けて、

「正直に言え、あいつのことしょぼいと思ってんだろ」

「うーん、正直、そうっすね。春也さんは足も遅いし、体も小さいし、運動自体苦手なんじゃないすか。今日もミスしまくってましたし。正直しょぼいっす。」

 荒藤と1年部員のその会話が聞こえて、春也はシャワールームの前で一瞬固まったが、そこまで聞くと、すぐにその場から気付かれぬように離れた。自分が悪いことでもしたかのように、心臓がばくばくと鳴っていた。1年部員にも馬鹿にされているかもしれないと思ったことはこれまで何度もあったが、こうはっきりと聞くとやはりショックは大きかった。しかし、春也の頭の中をぐるぐると回るのは、1年部員の言葉ではなく、荒藤の言葉だった。これまでも、目の前で何度も荒藤から言われてきたことではあったが、自分のいない場所で荒藤が自分をけなす言葉を聞くのは初めてであった。なぜだかは分からぬが、自分のいないところで荒藤がそういう言葉を口にはしないはずだと思っていた。荒藤はからかうことが目的で、自分をけなしているのであり、本心で言っているのではないと春也は思っていたのかもしれない。

 次の日も、その次の日も春也は単純なミスを何度もした。グラウンドに出れば、周りの部員の目が気になり、皆が自分のことをしょぼいと思っていると感じた。試合の前日、早紀から、

―――明日の試合頑張って。なりちゃんと一緒に見に行くよ―――

というメールが来た。杉田が忘れていなければ、後半からではあるものの、試合に出してもらえるはずであったが、練習ですらミスばかりするのに果たして試合で大丈夫だろかという不安は大きかった。

 9月1日、試合当日の午前中、下宿の部屋で、何度もアップテンポの曲をイヤホンで聞き、俺はできる、大丈夫だと目をつむって念じ続けた。試合会場に入ると、チームの皆の口数がいつもより少なく、春シーズン以来、久しぶりの試合であったので、チーム皆の気持ちが高ぶっているのを感じた。更衣室で、ユニフォームに無言で着替える先輩達の筋肉がいつもより大きく見えた。大丈夫だ、俺も同じようにやってきた、俺はできると再び心の中で念じた。

「時間です」

試合前のアップ開始の合図があると、芝の試合グラウンドに散っていた大勢の選手達が怒鳴りながら一か所に集まった。気温はあいかわらず高かったが、9月に入ったことで空気は夏のものとはなんとなく違う感じがした。とはいっても、3列縦隊でチーム全員が並んでグラウンドを走ると、すぐに汗が噴き出した。いつものストレッチを行い、短いダッシュを何本か全員で行うと、防具を付けた。金色のヘルメットと緑色のユニフォームを付けた50人ほどの選手全員が一か所に集まると、これからいよいよ試合が始まるんだという気持ちを改めて持つ。春也は大きな選手達に囲まれて、頭一つか二つ分小さく、隠れて見えなくなった。

「おう、お前ら、試合だ、試合。やるぞ。気合入れろ。」

選手の中心で主将がそれだけ言うと、

「おう」

とか

「しゃあ」

などという怒鳴り声が全員の選手から上がった。ポジションごとに分かれて、軽く走りこみをし、体をぶつけ合うと、試合開始の時間になった。

「よし、お前ら、楽しんでいこう。今日は、点差がついたら下の奴らも出すからな。」

と杉田が顔に汗を浮かべて笑顔で言った。コイントスが終わり、試合が始まると春也は自分が出てもいないのに、まだ心臓がばくばくと鳴っていた。選手11人が横一列に並び、一斉に相手チームに向かってタックルに駆けだすと、チアリーダー達が音楽に合わせて跳ねる。春也の目の前で次々に選手達が衝突していく。先輩達は強く、元々格下の相手だとは分かってはいたが、ほとんど全てのプレーで相手チームを圧倒し、この分だと早々に点差が開きそうだった。春也のポジションからは一度に3人が試合に出ているが、その先輩達も縦横無尽にグラウンドを走っていた。杉田はキレのあるフェイントで相手ディフェンスを抜き、盛田という4年はスピードをつけた走りでディフェンスを置きざりにした。吉倉にいたってはやりたい放題で、時にはフェイントで、時にはスピードでいとも簡単にディフェンスを振り切った。相手にたとえタックルされても、それを簡単にはじき返して強引に進んでいった。最初のオフェンスで先制点を取り、攻守交代となった。荒藤はディフェンスチームのスタートメンバーとして、初めから試合に出ており、最初の何プレー目かのディフェンスでタックルをきめた。ボールを持った相手選手を後ろ倒しにして止めると、自陣サイドラインから小さい歓声があがったが、荒藤は聞こえてもいないのだろう、自身は特段喜ぶ様子もなく立ち上がった。荒藤のプレーは4年の選手達に混じっても全く遜色なかった。

 春也は思い出して、観客スタンドの方を振り返ると、少ない観客の中に早紀と成田の姿を認めた。前もって荒藤や佐崎の背番号は伝えておいたし、試合に出ている荒藤に気が付いても良さそうであったが、元々、ディフェンスのプレーはオフェンスと比べて、素人には分かりにくいし、早紀と成田の2人は荒藤がタックルを決めたのには気が付いてはいない様子だった。しかし、次のオフェンスが始まり、佐崎がボールを持って長い距離をスピードにのって走り抜けると、スタンドからも歓声が上がり、早紀と成田もその選手が佐崎ということに気が付いたようだった。春也のポジションで最初に試合に出るメンバーは4年の選手3人であったが、今年に入って、佐崎は4年の盛田と頻繁に交代して試合に出るようになっており、半ばレギュラーメンバーのようになっていた。同じポジションには3年の控え選手も数名いたし、2年の選手は春也と佐崎の他に2名いたが、実力からいっても、佐崎が他の控え選手達よりも多く試合に出場するのは順当であり、そこは3年の先輩達も納得しているようだった。

 その試合、佐崎の活躍には目を見張るものがあった。2年生になってからは試合でも頻繁に活躍してきた佐崎であり、これまでもボールを持ち一度スピードに乗ると手がつけられないところはあったが、その日の佐崎にはそのスピードやテクニックに、力強さが加わったように思えた。これまでの佐崎は、そのスピードや高い運動センス故か、ボールを持った際には極力相手ディフェンスに自分を触らせず、スピードやテクニックで相手を抜き去るというプレースタイルであり、得点に直結する独走プレーを常に狙ってプレーしているようだった。元々、180数cmある恵まれた体格の持ち主であり、力強い走りができる素質はあったはずだが、佐崎はスピードやテクニックを重視しているようで、パワフルな走りを見せることは少なかった。しかし、その日の佐崎には、むしろ真正面から思い切りディフェンス選手にぶつかっていく場面が随所に見られた。佐崎は状況に応じてプレースタイルを使い分けており、無理をして独走を狙うよりも、短い距離を確実に走って次のプレーにつなげた方がチームの戦略上良いと思われる場合には、ディフェンス選手が群がる場所にも積極的に突っ込んでいった。

 体の大きな佐崎がスピードに乗って突っ込んでいくと、ほとんど当たり負けすることはなく、大抵の場合、タックルした相手は佐崎に2,3歩引きずられる形でようやく佐崎を止めることができた。時には、佐崎は完全に相手を跳ね返し、そのままディフェンスの群集から抜け出してきて走り続けることもあった。ディフェンス選手は、佐崎が勢いよく突っ込んでくることに対応しようと、当たり負けせぬように早くからタックルの体勢に入ると、今度は佐崎がフェイントを使って抜いてきて長い距離を走られた。佐崎のフェイントに対応しようと構えていると、今度は逆に思い切りよく突っ込んできて、ディフェンス選手が引き摺られる形になり、相手選手としてはまことにやりにくく、手がつけられない状態に見えた。

 春也はサイドラインで、まだ全く汚れていないユニフォームのまま、佐崎の活躍を眺めていた。佐崎がボールを持ち走るたびに、背後の観客席やチアリーダー達から歓声があがったが、春也は振り返らずにいた。佐崎のプレースタイルの変化の理由は春也にはよく分からなかったが、合宿で1対1の練習をした際、不調であった佐崎が最後に3年生の選手に向かって思い切り突っ込んでいった場面を何度も春也は思い出した。

 佐崎の活躍もあって、大差で相手チームを引き離した状態でハーフタイムに入ったが、サイドラインに戻ってきた先輩達には特段満足している様子はなく、

「こんな試合をやっているようでは関西のチームには勝てない」

などという言葉を上級生らは口にしていた。春也は試合に出ていないので、試合の戦略的な話題にも入っていけなかったし、話し合う選手たちの輪の外側から眺めているだけだったが、後半戦になれば、自分も選手の一員としてフィールドに出て行けるはずだと自分に言い聞かせていた。春也が考えていたとおり、

「後半から控えをどんどん出していくからな」

と杉田が選手の輪の中で言ったが、ハーフタイム中、体から湯気を出す選手たちと比べて、ただ試合を眺めているだけの自分の体が硬くなっているように春也は感じた。後半戦が始まり、選手達が勢いよくフィールドに戻っていってからもその感覚は続き、3年の選手と代わって次が自分の出番となるといよいよその感覚が強くなり、体が石のように固まって動けないように思えた。

「春也、行ってこい。ぶちかましてやれ。」

後半戦の半ば、杉田の威勢の良い言葉に送り出されて、春也は芝のフィールドの中に出て行ったが、自分にそんな威勢の良いプレーができるとは思えず、とりあえず最初は大きなミス無くサイドラインに戻って来られればそれで良いと思った。試合は、外から見るのと、実際に選手として中に入ってみるのとでは大違いで、相手選手の全てが強そうに見えたし、体もサイドラインから見るより大きく思えた。プレーが始まると周囲の選手が凄い速さで動き、春也の思考が追いつかぬまま次のプレーに移って行く。加えて、自分の足が先ほどから鉛の錘でも付いているかのように重く、体が思うように動かなかった。両足はいやに重いくせに、体全体はしっかりとした芯が無い感じで、春也が相手選手をブロックするために向かっていくと、体の大きなディフェンス選手に子供を扱うように弾き返された。

 春也がボールを持たぬプレーばかり続き、春也の緊張とは関係のないところで、他の選手たちの活躍によりチームの攻撃は続いていた。相手チームのゴール付近まで近づき、得点のチャンスという場面で、春也がボールを持つプレーが来た。既に大差をつけてリードしていたので、その場面で得点を取るか取らないかは勝敗に関係はなく、春也に花を持たせてくれようと春也にボールを持たせる指示が出たのかもしれなかった。

 試合形式の練習で何度もやっていたプレーであったが、緊張のためか頭が真っ白になり、チームの一番後ろで構えて、相手選手を眺めても全体の動きが頭に浮かんでこず、ただ自分の走るべきコースだけを睨んだ。仲間の掛け声で走り出し、ボールを手渡しで受けると、走るべき中央のコースに向かい、相手選手たちが群がる場所に勢いをつけて突っ込んでいったが、次の瞬間、前方の密集地帯から抜け出してきた相手選手と正面で激突した。下から突き上げる相手のタックルを顎に受けると、脳天にびりびりと衝撃が走り、何も見えぬまま、気づくと背中全体を芝につけ、仰向けに倒されていた。仰向けに倒されると、遠くのサイドラインか観客席から声があがったが、自分に対する怒号や嘲笑なのではないかと春也には思えて、急いで立ち上がった。

 ボールを前に進めるどころか、先ほどより陣地を後退した形で次のプレーになった。次のプレーでもう一度、春也がボールを持つ指示が出た。選手に囲まれてプレーの指示を聞いて、春也は血の気が引く思いだった。もう自分にボールを持たせるのはやめてくれと頼みたい気持ちだった。

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