【青春スポーツ小説】「この世に女はいないと思え」第18話

スポーツ小説

土曜日、練習が午前中になったことで、午後3時にはミーティングを含めて全て終了し、部員達は解放された。更衣室のシャワー室でいつもより心なしか念入りに体を洗って出ると、多くの部員が既に帰るところで、珍しく自由になった土曜の午後をどう過ごすか、楽しそうに相談している部員達も多かった。いつもなら、練習後には必ずと言っていいほど、荒藤から声を掛けてくるのだが、その日は春也の方をちらりとも見ずに、荒藤は佐崎や後輩の部員数名と一緒にそそくさと帰って行った。その日に春也が早紀と成田に会うのを荒藤が忘れているとは考えにくかったので、あえて春也を無視して帰っていったと思われた。荒藤のいつもと違う行動はさして気にならず、早紀との待ち合わせは午後6時だったので、それまでの時間をどう過ごそうかと考えていた。下宿に戻り、少し昼寝をして体を休めておこうかと布団に寝転んでみたが、暑くて汗は出るし、この後の会合を思うと目が冴えて、全く眠れなかった。仕方がないので、早めに待ち合わせ場所に行くことにして、着ていく服を選んだ。色のついたポロシャツやズボンなどいつもと違う服をを着てみたが、ひどく不格好に感じて、結局いつもと同じ白いTシャツと紺色のショートパンツを穿いた。練習後にシャワーを浴びたものの、自分の体のにおいが気になって、以前、店で試供品として貰った匂いのついた液体などを体に塗ってみたりした。家を出る直前に、腕立て伏せを30回程して、少しでも体が大きく見えるように筋肉を膨らませると、なんでこんなことをやっているのだと、自分という男を情けなく感じた。

 待ち合わせ場所は、香林坊のドーナツ屋になっていて、そこから花火大会の会場まで一緒に臨時シャトルバスで向かうという段取りだった。待ち合わせ場所には30分以上早く着いた。オレンジジュースとドーナツを少し多めに買って、テーブルに座ると、何だかそわそわして気持ちが落ち着かない。必要もないのに、トイレに行って鏡を見ると、鏡に映る坊主頭の男が醜く見えた。3階に戻って自分の席に座ったところで、春也は驚いた。自分の席から一番離れた席に帽子を深くかぶった大きな男と小熊のような男がこちらに背を向けて二人で座っている。窓の方を向いて座っていて顔は見えないものの、その男は明らかに荒藤と山村という1年の部員だった。なぜ、ここに奴らがいるのだと、一瞬驚いたが、すぐに、なるほど荒藤は俺が女に会うの見にきやがったなと合点がいった。そういえば、

「お前、土曜、会う場所は決まったのか。」

と、今週会うたび荒藤は何度も聞いてきていたのを思い出した。

「会う場所って、犀川の花火を見にいくと言っているだろ。」

春也が答えると、

「そうじゃない。俺はもっと詳細なプランを聞いているんだ。集合場所とか時間とか、会ってから何をするのか、もっと詳しく報告しろ。俺がそれで間違いないか評価してやるから。」

とやけにしつこく聞くので、春也は集合場所と時間も荒藤に答えた気がする。それで、荒藤は日頃自分の子分のように使っている1年の部員を引き連れて、自分の様子を見にきたに違いなかった。

「おい」

3階席にほとんど客はいなかったので、春也は自分の席に座ったまま、荒藤達に向かって大きな声で呼んだ。その声で、反対側を向いていた1年の山村が頭だけで振り返り、ばつが悪そうに春也に向かって小さく会釈を返してきた。すると、となりにいた荒藤が横に座る山村の頭を掴んで戻し、何事が山村にささやいた。荒藤の唇の動きからすると、どうやら

「見るな」

と言ったようだった。ちらと見えた横顔の荒藤はなぜか大きなサングラスをかけている。それで変装でもしているつもりだろうか。初めてみる派手な赤いアロハシャツのようなものを着ており、チンピラみたいな格好で、大きな体が余計に目立つ。春也は可笑しくなって、ひとり首を傾げながらにやにやと笑ってしまった。

「おい」

もう一度、大きな声で呼んでみたが、今度は山村もこちらを見なかった。奴らがどういうつもりで自分を無視しているのか分からなかったが、あえて春也から向こうへ行ってまで話かける気にはならなかった。これから来る早紀達のことで、頭が一杯だったし、そこで見ていたいなら勝手にしろという気持ちだった。荒藤に隠すものは何もなかったし、女と話すところを荒藤に見られることに抵抗はなかった。むしろ、荒藤達が来ているのを知った後、緊張していた気持ちが多少楽になった気がする。仮にこれから早紀達と会う中で無様な姿を見せたとしても、後で笑い話として荒藤が部員の皆に伝えてくれるならば、自分の失敗もそれで無駄にはならないはずだと思えた。

 集合時間の10分前になって、

―――ちょっと早めに着いたよ☆ 春也くんはまだだよね。着いたら教えてね^^ 急がないでいいよ。―――

というメールが届いた。一度は落ち着きを取り戻した気持ちだったが、そのメールで俄かに鼓動が速くなった。「もう着いてるよ。3階にいるよ」と慌ててメールを打っていた時、早紀と成田の2人が扉を開いて入ってくるのが視界の端で見えた。冷房で冷たくなった手の平にやたらと汗が出て、それをショートパンツで拭う。

「あ、春也くん。着いてたんだ。久しぶりだね。」

近づいて来た早紀に声を掛けられて、あたかも今気が付いたかのように顔春也は上げた。上げた視線の途中で早紀の白い太腿が現れてどぎまぎとし、

「あ、ああ、久し、久しぶりです。こ、こんにちは。」

上手く言葉が出てこず、伏し目がちにそう言って、春也のすぐ目の前に立つ2人と目も合わせられなかった。早紀と成田は申し合わせたように、デニム生地のショートパンツとTシャツにスニーカーという格好をしていた。合宿のせいか、以前会った時より成田は日に焼けていたが、早紀はなぜか以前と変わらなかった。

「ど、どうぞ」

早紀は笑顔でその場に立ったままでいたが、春也が促すと2人は椅子に腰かけた。少しの間沈黙が流れ、春也は何か話さなければと思い、

「ド、ドーナツを多めに買っておいたから、良かったら食べて」

と視線を合わせず言った後、早紀も成田もドーナツを買ってきているのを見て、気の利かぬことを言ったと思った。左右前方に座る2人からの真っ直ぐな視線を感じ、そう思うと、いよいよ春也の視線は下がっていき、背中まで縮こまっていくような気がした。自分ばかりが緊張して小さくなり、目の前の二人はゆったりと座って、自分のことを品定めでもしているかのような感覚に襲われた。

「花火楽しみだね~。今日は誘ってくれてありがとう。」

早紀のその言葉で、やっと顔を上げることができ、

「いや、こちらこそ来てくれてありがとう。」

と初めて早紀と成田を直視しながら喋ることができた。

「まだ少し早いから、もう少ししたら会場に向かうバスに乗ろう。」

「うん。」

ようやく普通に言葉が出るようになって、

「陸上部も今日練習だったの?俺達も午前中練習だったんだよ。疲れたなあ。」

これから花火を見に行くのに、疲れアピールなどするべきではなかったと思ったが、早紀は気にする様子もなく、

「うん、私達も練習だったよ。シャワー浴びてきたげど、におったらごめんね。」

と言って笑顔を見せた。やはり、東北弁のイントネーションがある。

「いやいや、それは俺のセリフだよ。2人は大丈夫だよ、いいにおいするよ。」

と言って春也も笑顔になったが、女性の体の匂いなどについて言及すべきではなかったとまた後悔して、冷房が効いており暑くもないのに体中から汗がじわりと出た。しかし、春也は嘘をついたわけではなく、さきほどから甘ったるいミルクのような匂いが、やたらと自分の心をくすぐるのを感じていた。

「女性は自然と体から良い匂いが出るようになっているって、俺の友達がいつも言ってるよ。友達って、この間の荒藤のことなんだけどさ。」

先ほどの匂いについての発言を自然なものにしようとして春也はそう言ったが、余計に嫌らしくなった気がした。早紀と成田は顔を見合って、

「それならいいんだけどね~。実際は残念ながら、ね。」

と早紀が成田に笑いかけながら言った。

 匂いについて一家言あると自認する荒藤は、大学構内などを一緒に歩いている際、女子学生と擦れ違うと、時折鼻をくんくんさせて、

「どいつもこいつもやたらと女のいい匂いをさせやがって。男を誘ってやがる。お前は知らんと思うが、年ごろの女というものは、自分自身でも気づかずに、男を誘惑するいい匂いを体から出しているんだ。シャンプーの匂いだとか、化粧の匂いだとか言う馬鹿がいるが、それは断じて違う。あれは女の体から出るメス本来の匂いで、フェロモンのようなものだ。」

と一席ぶつのだった。一方、かなり年配の女性職員などと擦れ違うと、

「うーん。化粧の匂いしかしないな。彼女は既に閉経しているようだな。」

等と冗談か本気か失礼なことを言ったりした。それから、

「思うに、俺達男についても、自分では気づいていないが、やはり体から出る匂いを持っている。女にしかその匂いは分からんが、もてる男はいい匂いをさせているはずだ。」

と持論を展開した上で、春也の体に鼻を近づけ、

「うっ。納豆のような臭いしかしない。残念ながら、お前はもてないし、俺の理論と矛盾はしない。俺の匂いを嗅いでみろ、いい匂いがするはずだ。」

等と言ったりした。

 それで、離れた席に座る荒藤のことを思いだし、窓際の席に目をやると、相変わらず荒藤と山村はこちらに背を向けて座っていた。これだけ離れていれば、春也と早紀達の会話も聞こえないはずだ。気付くと、1年の山村が時々、春也達の方に振り返っては、こちらの様子を窺っている。その後、山村は隣の荒藤に話しかけているところを見ると、こちらの様子を荒藤に報告しているものらしい。春也は男達の様子が気になって、早紀達との会話の合間に、ちらちらと荒藤達の方を見ていたが、途中で、こんな時に荒藤のことなど気にしている場合かと思い直し、左右に小さく頭を振った。

「どうしたの、大丈夫?」

荒藤のことを忘れようと頭を無意識の内に振った春也に気がついたのか、成田が春也に声を掛けてきた。思えば、成田がこの日春也に話しかけてきたのは初めてで、さきほどから春也は早紀とばかり会話していたことに気が付いた。その日、早紀と一緒に現れてから成田はずっと静かだった。前回会った際は、成田から荒藤や皆に積極的に話しかけてきていたので、春也としては少し意外に思って、

「大丈夫、大丈夫。なんでもない。それより、成田さんこそ、練習でちょっと疲れてない?」

と、春也が聞くと、

「疲れてない、疲れてない。大丈夫。」

成田ははにかんだような笑顔になってかぶりを振った。それを見た早紀が、

「なりちゃん、『私、誘われてないのに来ちゃってごめんね』て言って、さっきがら気にしてるの。全然いいよね。なりちゃんがいでくれた方が楽しいよ。」

と春也の同意を求めるように聞く。

「もちろん。皆で花火見た方が楽しいよ。全く気にすることないよ。」

3人の方が楽しいかは分からなかったが、成田の手前そう答えた。実際、春也は早紀と2人きりだった場合より、緊張せずに済んでいるとは思う。成田は自分の話題になったことで、恥ずかしそうに俯いていたが、春也の答えを聞くと、顔を上げて笑顔を見せた。

「良かった。私邪魔してないかなって思ってさ。」

「邪魔だなんて、変だよ、なりちゃん。」

早紀と成田の二人はそんなことを言って笑い合った。春也は早紀の言葉が気になったが、花火会場に向かうバスの時間もあったので、

「そろそろ、バス停に行こうか。まだ花火始まるまで時間に余裕あると思うけど、ぎりぎりだと混むと思うし。」

と2人を促した。2人はすぐに同意して、3人は店を出てバス停まで向かうことにした。バス停まで歩いている途中、春也が後ろを見ると、赤シャツの男がかなり後方からついてくるのが見えた。やはりついて来る気だなと春也は思ったが、一緒のバスに乗るのは難しいのではないかとしなくても良い心配をしていた。バス停でしばらく待った後、バスに乗り込むと、春也達と一緒に1年の山村だけが乗り込んできた。早紀達に顔を知られている荒藤は尾行を諦めたのかと思い、走り出したバスの後ろを覗くと、黒い原付に乗った男が赤いシャツを風で膨らませ、バスのすぐ後ろから追いかけてくる。それを見て、春也は可笑しくなり、また一人でにやにやと笑ってしまった。バスに乗っている間、本来の元気を取り戻したのか、春也の隣に立っている成田が話しかけてきたが、バスの後ろから追いかけてくる原付が気になって、春也は半ば上の空だった。

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