【青春スポーツ小説】「この世に女はいないと思え」第15話

スポーツ小説

試合形式の練習や走り込みのトレーニングを乗り越えて、長い午後の練習がようやく終わると、辺りはすっかり暗くなっていた。空には夏の星々がまたたき始めている。少し遠くにいる選手はすっかり黒い影にしか見えなくなっている。一日の練習を何とか乗り切れたという安心感、開放感、それと充実感を味わいながらストレッチをしていると、手足のやけに長い黒い影が春也に近づいて来て、やがて荒藤の顔が暗がりから現れた。

「なんだあのざまは、頭を下げて突っ込んできやあがって。あれじゃあまったく駄目だ。話にならん。自分で頭から地面に突っ込むようなもんだ。懐に入られて串刺しタックルされるよりましだが、あれじゃ話にならん。まあ、少しはヒットが重くなったのかもな、顎にがつんと入って少しだけだが痛かった。まあ、あんなもの痛いうちに入らんがな。チッ、あんまり調子に乗るなよ。」

こちらの返事も聞かずに、それ言うだけ言うと、またグラウンドの暗がりに消えていった。荒藤が離れていった後、春也は思わずひとりでにやにやと笑ってしまった。荒藤はわざわざ春也の改善すべき点を指摘しに来たわけであったが、そこには荒藤なりの褒め言葉も含まれていたことを春也は感じていたからであった。

 一日の練習が終わった開放感からか、疲れてはいるものの、部員達は食事の間中騒がしかった。春也はくたくたに疲れていて食欲もあまりなかったが、何とか大盛りの食事を平らげた。食事の後、熱い風呂に浸かると、砂利のグラウンドのせいで体中にできた擦り傷に湯が沁みた。風呂を出ると、ようやく練習によって張っていた神経も和らいで、ぽかぽかとした体に心地よい疲れが回る。

 春也が自分の部屋に戻ると、同じポジションの者達は、春也が風呂から戻るのを待っていたらしく、

「遅えぞ、春也。ミーティング、この時間に始めると言っておいただろ。ったく、毎日長風呂しやがって。」

と3年の先輩に言われ、そそくさと風呂道具だけ置いて、テレビの前に集まっている部員達の輪の中に春也も加わった。毎日、練習後のミーティングでは、まずオフェンスとディフェンスに分かれ、その日の午前と午後に行った試合形式の練習をビデオ撮影したものを、何度も繰り返し巻き戻しては再生し、各自の動きをチェックする。試合形式の練習では、他の部員と比べて、春也の出番は少ないものの、その日のビデオに映る自分はきびきびと動いており、見ていて嫌ではなかった。いつもは画面に映る自分の姿が、他の部員と比べてなんとも小さく細く醜く見えて、画面から目を背けたくなるのだが、ここ最近、画面に映る自分を見ていても、それほど嫌悪感を持たずに済むようになってきていた。

 試合形式の練習のビデオチェック後に、同じく録画してある1対1の練習を同じポジションの皆でチェックしたが、いつも感じるように、録画した映像は実際に自分が感じた感覚と比べて、全く物足りないものだった。画面の中で、防具を付けた男達が次々に走ってぶつかり合っていくのだが、それはただ淡々と繰り返される光景であり、春也が感じた緊張、恐怖、興奮のどれも大して持ち合わせていなかった。こんなものを激しい練習だと感じていた自分が間違っていたような気持ちにもなった。ただ、録画した映像は、練習の激しさをきちんと伝えないくせに、臆病者だけは誰にでも分かる形で映し出した。ディフェンスにぶつかっていくことに怯えているか否か、自信を持って練習に臨んでいるかどうかが一目瞭然だった。それは開始線に構えている様子でも、相手に向かって走る様子でも、ヒットの形でも、勝負がついた後立ち去る様子からでも、画面に映る全て動作から簡単に見て取れた。そういう意味で、この1対1の練習は、技術的な技量を高める練習であるとともに、それ以上に気持ちを鍛える練習であった。

「びびってんじゃねえよ!情けねえな」

練習中でも、ビデオチェック中でも、そういう言葉が飛び交ったが、そんなことを言われるまでもなく、録画した映像を見れば、自分が臆病になっているか、情けないことをやっているか一目瞭然だった。

「おい、春也、これナイス。悪くねえぞ。」

 それも言われなくても、自分で見て何となく分かっていたが、ポジションリーダーの杉田にそう言われるとやはり嬉しかった。佐崎など他の同期や後輩が、杉田にそう声を掛けられるのを春也はたいてい聞いているだけだったが、夏合宿前の練習辺りから、自分もそんな声を掛けられることが増えてきていた。人にそう言われるまでもなく、自分の変化は自分が一番良く感じていた。他の部員と比べて、体は小さく細かったが、上体が反り上がり無様に走る姿はいつか消え、動きは機敏に見えたし、思い切りよく相手にぶつかっていく様子も小さな弾丸のように見えた。その日の1対1の練習を録画したビデオで見ても、それほど悪くないと思えた。1本目からラストまで、動きもきびきびと見えたし、フェイントなども思い切りよく、中途半端な動きにはなってはいなかった。何より、自分より大きい相手に思い切りよく立ち向かっていく様子は臆病者には見えなかった。

「お前は足が速いわけでもなく、体も小さい。思いきりよくやってるだけじゃだめだ。佐崎には勝てんぞ。」

 それも言われなくても分かっていることだったが、ポジションごとのビデオチェックが終わって、寝る準備でもしようかと部屋を出ようとした時、4年の吉倉が後ろから春也の後ろについてきて、低い声で言った。吉倉はチーム全体のエースであり、副主将でもあったが、杉田のように積極的に後輩に話しかけるということはほぼ皆無で、切れ長の目をした顔はたいてい無表情だった。プレーは激しく、ボールを持てば、190cm近い長身に筋肉隆々の体で敵を何人もなぎ倒して進んでいく力強さに加えて、チームでも1、2のスピードも持っていた。大人が子供の集団に紛れ込んで走っているような、そういう圧倒的なものをこの吉倉という選手は持っていた。練習や試合中でも無表情なのは変わらず、他の選手のように大声を出したり、怒ったり、感情を表に出すこともほとんどなかった。ただ、練習でチームメイトが相手であっても全く容赦せず叩きのめしたし、吉倉を怖れている選手は部内に多く、吉倉の鬼のような形相を目撃したという者も少ないながらいた。荒藤もその目撃者の一人で、

「俺が練習で吉倉にタックルして、いつまでも掴んで離さなかったら、あいつ急に鬼のような顔で俺を睨んできやがって『離せ。もうプレーは終わってる。殺すぞ。』などと言ってきやがった。その後のプレーでものすごい勢いでつっこんできやがって。」

というようなことを苦々しげに言っており、さすがの荒藤も吉倉のことは認めたくはないが怖れているようだった。

 吉倉と同じオフェンスである春也は、吉倉と練習で対峙することはなく、吉倉のそういう激しい部分は見たことはなかったので、吉倉に対して怖れおののくということはなかったが、確かにこの吉倉という選手は人を寄せ付けぬものを持っていた。吉倉の春也に対する態度は、無関心といったもので、ほとんど話しかけられることもなかったが、春也がしょぼいプレーをしていると、軽蔑したような視線を吉倉から感じることは何度かあった。

 そんな吉倉が自分のプレーについて話しかけてきたことが、春也にとっては驚きだったし、そんなことに喜んでいる自分を何とも小さく感じたものの、単純に嬉しかった。吉倉に言われたことは、このままでは駄目だという内容だけではあったが、それでも、語りかけるに足ると思ったから吉倉は自分に話しかけたのだと思えたし、吉倉の言った「佐崎には勝てんぞ」という言葉も含めて、自分へのエールのようにも思えた。体格も自身に似ており、次期エースと目される佐崎にこそ、吉倉は目をかけても、自分のことなどまるで眼中にないと春也は思っていたから、何気ない言葉ではあったが、春也にとっては嬉しかった。

「はい、それは自分でも分かってます。どうしたらいいか自分でも考えてるんですが…。」

と春也は振り返って、目の前の吉倉を見上げた。吉倉から何かアドバイスでもあるかと次の言葉を待っていたが、

「そうか。」

とだけ、吉倉は言って、先に部屋を出て行ってしまった。湿布の臭いが漂う廊下に春也も出て、別の部屋の前を通ると、オフェンスの別のポジションの部員達がまだビデオチェックをしており、ビデオを見ながら食堂で食べきれなかった飯を部屋に持ち帰ってまだ食っている1年もいた。その隣の部屋では、ディフェンスの部員が、こちらも同じく1対1のビデオチェックをしており、部屋を通り過ぎる際、部員達が話す声が聞こえた。

「荒藤ナイス。佐崎を2回とも止めたな。お前の手はほんとに伸びてるみたいだな。」

「いや、あいつの調子が悪かっただけですよ。」

荒藤と佐崎の対戦を見ていたのか、3年の先輩が感心したように、荒藤に言うと、部員達の輪の外側で小さくなって座っている荒藤が、そう無愛想に応えていた。

「あぁ、そういや、あいつ調子悪そうだったな。こいつにまでタックルされてたしな。お前は大げさに喜びやがって。」

3年の大柄な選手が、隣に座っている1年の頭小突きながら言う。3年の選手は続けて、

「佐崎の野郎、最後は俺に狂ったように突っ込んできやがった。まったくどいつもこいつも馬鹿みたいに突っ込んできやがって。佐崎までこいつに影響されたのかしらんが、バックスがディフェンスに自らつっこんでどうする。」

そう呆れたように言いながら、3年の選手が指差した画面の先には、自分が思い切りよく荒藤に突っ込んでいく映像が流れていた。

「こいつ、あんまり調子に乗らせるなよ。お前、今日やられてたな、春也になんかやられてどうする。今度は潰してやれよ。」

4年の南野が、春也と2度対戦した2年の選手に笑いながら言った。春也と同学年のその選手は悔しそうに下を向いて黙っていた。テレビを囲んで座る大きな背中の男達が発する自分についてのコメントは、どれも好意的なものではなかったが、今までのビデオチェックでは、自分のしょぼい動きが笑われるか、同情的な者は沈黙するか、もしくは相手にすらされていなかったので、それが好意的な意見でなくても、自分が戦うべき選手として見られていると感じられて春也は嬉しかった。

 そういう周囲の反応も手伝って、最終日の8日目まで、春也は気持ちを切らずに乗り切ることができた。合宿練習の最後のトレーニングで、100mダッシュを10本走り終えると、体はくたくたであったが、終わったという開放感と合宿を乗り切ったという充実感があった。最終日の練習メニューを全て終えて、グラウンドの中央にチームの全員が集まると、チームメイトのどの顔にも清々しいものがあった。

「合宿が終わったからと言って、気を抜く時間はないぞ。2週間後には試合だ。」

部員の固まりの中心で4年の選手の何人かが部員に気合を入れる。その後、OBの選手達が現役部員に対して、選手の中央で何言かコメントをしていった。夏合宿には、大学を卒業し社会人として働いている先輩達が多く来ていた。中には、防具をつけて練習に参加する者もいるが、大抵のOBは練習を周りから見るだけで、現役選手に好き勝手に文句を言ったり茶々を入れたりするだけだった。というのも、大抵の部員達は卒業すると、毎日の練習、トレーニングがなくなり、飯も無理に食わなくなるので急激に痩せてしまったり、逆に食べるだけになって太ってしまったりする。どちらにしても、現役当時の体格や体力を維持しておらず、練習に参加するのは難しい。

 そんな中、夏合宿の最初から最後まで、現役部員達に混じって黙々と練習に参加しているOBがいた。練習にずっと参加できるくらいだから、まだ若く、体も鍛えているようで、背は高くないもののきれいな体つきをしていた。多くのOB部員達のように現役選手達にちょっかいを出すわけでもなく、積極的に話しかけるわけでもなく、そのOBはただ黙々と練習に参加しており、練習の最後でも特に何もコメントはないかと思っていたが、ちょっと一言部員達に言いたいと言って前に出た。

「どうも。OBの広田と言います。2週間後に始まるシーズン戦頑張ってください。頑張ってください等と言わなくても、頑張っていると思うし、頑張らなきゃならないと思う。君たちは好きでこれをやっている。何も好き好んで、こんなしんどいことをやっているわけじゃないと言う者もいるかもしれない。だけど、それでもやはり自分で選んで部活をやっていることには変わりない。君たちはお金をもらっているから、こんなしんどいことを毎日やっているわけじゃあない。将来プロになるためでもない。じゃあなんで、毎日練習ばかりしているのか。それはやっぱり自分のためにやっているんだ。同年代を見れば、プロスポーツ選手として金を稼ぎ、華々しい舞台で活躍している連中がいる。だけど、どこで頑張るか、自分のためにやることに舞台は関係ない。自分は、自分の立つ舞台で勝てばいい。俺は、結果が出なくても頑張ればいいと言っているわけじゃあない。やるからには、試合にも勝たなきゃならんし、周りにも勝たなきゃならん。才能のある奴、そうでない奴、元々強い奴、弱い奴の差はある。だけど、そんなことは関係ない。才能がある奴が勝つんじゃない。強い奴が勝つんでもない。思いの強い奴が勝つんだ。自分は勝つとどれだけ信じられるかだ。どれだけそう思い込めるかなんだ。それは何も運動だけの話じゃない。これからの人生ずっとそうだと思う。俺は自分にもそう言い聞かせている。」

最初はおだやかに話し始めたそのOBも、段々と口調に熱が帯び、声も大きくなったが、最後の部分になると再び静かな口調に戻り、自分に話しかけるかのように喋った。周りの部員の顔はどれも真剣にOBの話を聞いているようだった。

 全てのOBの話が終わり、最後にチーム全員の掛け声を大声で出して、合宿練習の終了が主将から言い渡されると、どの部員の顔もどこか明るいものに変わった。明日から2日間練習がないことで、どの部員の心にも浮き浮きしたものがあるようだった。部員達の固まりが崩れ、それぞれ思い思いの方向に散っていく中で、春也は先ほどの広田というOBをちらと見ると、ひとりぽつねんと誰とも話すことなく同じ場所にたたずんでいた。

「合宿終わったなあ」

等と明るい声で、同学年の者が話しかけてきて、

「おお、やっと終わったなあ。もう体がくたくただ。」

と返事をしたりしたが、春也の頭の中では、広田というOBの言った言葉がぐるぐると回っていた。そうだ、舞台も才能も関係ない。勝つと強く信じたものが勝つんだ。俺はまずここで勝たねばならないんだ。合宿を乗り切ったという達成感と、疲れた体のせいか、その言葉が春也の気持ちをいやに高ぶらせていた。

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