【スポーツ小説】「この世に女はいないと思え」第1話 

スポーツ小説

(一)

浜辺の砂、一粒一粒が夏の日差しを跳ね返し、きらきらと光っていた。水平線の上に少しの空間を空けて、白い入道雲が浮かんでいる。白い肌にほどよい肉付きの女が、白いビキニを身に着けて、3人の芋男達の前を彼らに見られているの十分意識し、扇情的に尻を左右に振りながら歩いて行く。

海に浸かって濡れた体を浜辺で乾かしていた3人の男達は、三者三様のやり方でその歩き過ぎる女を見た。歩み来る女をじっと睨むように凝視する荒藤、近づく女をちらと横目で盗み見て、女が通り過ぎた後、そのぷりぷりと動く尻を舐めるように見る春也、一度も視線を動かさず、遠くの水平線を見る視界の端でのみ女の姿を捉える佐崎。荒藤の睨むような視線に女は当然気付いたろう。佐崎のように一切の視線を動かさぬ場合を除いて、大抵の場合、女は男の視線に気付いて気付かぬふりをしている。春也の盗み見るような横目での視線にも女は気づいていたはずだ。

「ったく、あんなにムチムチした体を見せやがって、男を誘ってるとしか思えんな、ちくしょう。」

荒藤が言う。何に対してのちくしょうなのかはよく分からぬが、その気持ちは3人の男達に共通する気分であった。

「見ろ、どこを見ても若い女とそれを狙う男ども。どいつもこいつもちゃらちゃらしやがって。ストイックに海で泳ごうとか、体を鍛えるためにここへ来ている奴はいないのか」

荒藤が誰にともなく文句を言うのを春也と佐崎はにやにやと笑いながら聞いていた。

たしかに、この内灘海岸は、夏の間若い男女で埋め尽くされ、海の家から聞こえる流行の音楽と、色とりどりの水着に包まれた水を弾く若い女の肌で、他の季節にこの日本海の海岸が見せる顔をすっかり変えている。海の家から流れるアップビートな音楽と若い男女の姿が、ギラギラと降り注ぐ夏の日差しと絡まって、3人の男達の気持ちも高揚させるのと同時に、砂浜を自分達とは違う種類の男女達に占領されたような気持ちにもさせる。毎度、海へ顔を出すものの、その度男だけの自分たちが、女にあぶれて無言で引き下がる情けない男達に思えて、なんとはなしの敗北感を感じる。そんな夏の浜辺の状況も、それによって自分達がどんな気持ちになるのかも、砂浜に着いた頃から、いや海に来る前から春也たちは分かってはいるのだが、夏の海の魅力なのか、たまに部の練習が無い日があると、海へ顔を出さずにはいられなかった。この日は平日だったので、週末ほど砂浜は人で埋まっていなかったが、それでも多くの若い男女がビーチでくつろいでいた。

「お前なあ、あんまり情けない真似するなよ。なんださっきのは。ちらちら、ちらちらと媚びるようにあんな女を見やあがって。情けない。」

荒藤が自分に向かっていうのを聞いて、春也は自分の体の血の気がさあっと引いて、すぐ逆に血が上って体がかっと熱くなるのを感じた。女を媚びるように盗み見る自分の姿がぱっと眼前に浮かび、ばれていたという恥ずかしさと情けなさで内心ひどく動揺していたが、そこはなるべく押し隠し、

「ふざけんなよ、お前には言われたくないな。なんだあのさかりのついた野良犬のような女の見方は。じーっと物欲しそうに女を見やがって。女を見ながら、今に舌を出し始め、はっはっと涎までたらしはじめるんじゃないかと思ったぞ。」

春也は自分でもなかなか言い得て妙だと思ったが、その言葉で荒藤の表情がにわかに動いたのに気が付いた。

「ああ?調子に乗るなよ。誰があんなくだらねえ女なんかもの欲しそうになど見るか。けつがプリプリと動いていたから目がいっただけだ。動物は動くものに自然と視線がいくようにできている。大体俺は見るにしても、堂々と見ている。お前の媚びるような視線とはまったく違う。」

よく分からぬ理屈を荒藤は怒鳴るように早口でまくしたてたが、目は笑っていた。横ではそのいつものやり取りを聞いて、佐崎が笑っている。

「立ておら。しょぼいくせに調子に乗るな。俺がトレーニングをつけてやる。砂浜で相撲をすれば、足腰が鍛えられる。」

荒藤が春也を誘う。発散できぬもやもやを体を動かして解消しようというのはいつものことだが、小柄の春也からすれば、筋骨隆々185cmを越える荒藤に相撲で勝てるとは到底思えない。ただ、簡単に相撲はやらないと言うのもいかにも意気地がなく情けなく思えたので、毎度立ち向かっていくことにしていた。

「おら、来い。かかって来いよ」

仁王立ちになって荒藤は言う。ぼこぼこに割れた筋肉と長い手足。もともと褐色の色黒の肌が荒藤の後方から照らす太陽によって、さらに黒く見える。海水に浸かって乾いたためか、総立ちする髪の毛と黒々とした眉の下で光る目を見ると、本当の仁王のように荒藤は見える。男ながらその体躯には惚れ惚れすると春也は毎度思う。

周囲の人から少し離れた場所で、春也は声を出して荒藤に下から勢いよくぶつかって行った。おれだって伊達に部活やウエイトトレーニングで鍛えているわけではない、毎度簡単に負けてたまるかと春也は思う。たしかに、去年の夏、大学1年生の頃に初めてこの砂浜で荒藤と相撲を取った頃と比べると、春也は簡単には転ばぬようにはなった。それでも、荒藤が手を抜かぬ限り、全く勝てなかった。体に付いた砂が、汗ばんだ肌と肌がぬるぬると触れ合う度にじゃりじゃりと音を立てる。春也と何番か相撲を取り、春也の体が砂まみれになった後、荒藤は立ったまま、

「おい、あそこを見ろ。さっきの女にチャラ男が声掛けてるぞ。」

視線の先には、先程通り過ぎて行った白いビキニ姿の女が、その友人と思われるもう一人の若い女とシートに座っている。おそらく二人とも春也たちと同じくらいの年齢に見える。そこへ、2人組のよく日焼けした若い男が近づいて話しかけている。片方の男はやや茶色の長い髪の毛をオールバックにし、右肩にタトゥーを入れている。二人とも体を鍛えているのか、なかなか良い筋肉を上半身には付けているが、下半身は鍛えていないのか、上半身と比べてややアンバランスに細かった。

「またナンパだ。どいつもこいつも。」

荒藤が言う。男らが何を話しかけているのかは距離があって分からぬが、その雰囲気からナンパをしているのはたしかだった。初めは警戒げに座って男2人を見上げていた女達も、しばらく話す内に時折笑顔が見えるようになった。やがて男2人はそこに腰を下ろし、何やら楽しげに会話をしている。

「あれは完全にナンパ待ちだったな。あの女ども。」

その様子を遠くから、向こうからはあまり気付かれぬよう、春也たち3人は無言で見ていたが、男女の会話が弾みだした段で、視線を外した荒藤が吐き捨てるように言った。

「おれが言ったろ。完全に誘ってやがるって。俺たちの前を汚ねえケツをぷりぷりさせて通り過ぎて。俺が話しかけたらいけたな。」

あんなにじっと見ていたあの女の尻がいつの間にか汚いものになっている。

「お前、悔しいんだろ。素直に認めろよ。」

佐崎が笑いながら言う。

「いやおれは悔しくなんかない。いや、やっぱり悔しいんかな…。でも、別にあんな女どうだっていいんだ。俺はあのチャラ男どもがむかつくんだ。どいつもこいつもチャラチャラしやがって。」

「いや、お前は女をどうでもいいとは思ってないな。言い訳するな。お前はあの女を奪われて気が立ってるんだ」

そう佐崎に言われると、荒藤は照れたように下を向いて、

「あー!!」

と大声を出した。それを見て佐崎はにやにやとしている。荒藤は佐崎の言葉を受け、道化て大きな声をだしたようだ。大抵の者に対して傍若無人に振る舞う荒藤だったが、佐崎に対しては大人しくからかわれていることが多い。それは相手によって態度を変えるという嫌な印象のものではなく、そこには荒藤の繊細さがあった。

「おいおい、いきなり大きな声をだすなよ。周りの人達も振り返ったぞ。」

口ではそう言っても、大声を出した荒藤を面白く思い、春也は続けて言った。

「そんなに力が余ってるなら、今度は荒藤と佐崎で相撲やれよ。おれはちょっと休む。」

荒藤も佐崎も一瞬ためらう表情を見せたが、2人ともやめておくとは言わず、

「なんでこんなところで相撲を取るのか分からんが、まあよし、じゃあちょっとやるか。」

と佐崎は言って立ち上がった。荒藤はただそのままそこに立っていたが、表情が少し固くなったのに気付いた。荒藤でも、佐崎が相手となっては、真剣にやらねば負けるだろう。部活の練習中は別として、普段のこういう遊びの中では、荒藤と佐崎は勝負をつける類のものを避けているのが春也には分かる。互いに、負けず嫌いゆえに、必要もないのに勝負をすることを無意識的にも避けているようだ。遊びでも、やるとなれば手は抜けない。

佐崎と荒藤が立ち並ぶと威圧感があった。荒藤には及ばないが、佐崎も180cmを越える身長があったし、鍛えられた全身の筋肉はそのひとつひとつがよく締まっている。荒藤の体格が野性的で豪快なのとは対照的に、佐崎の体は、彼の怜悧な顔の印象も相俟って、理性的で鋭く見えた。佐崎や春也の肌は、部活で露出する部分だけ日焼けしている以外、白いままで、腕や足だけがチョコレート菓子のポッキーのように色がついている。

「はっけよーいい」

両手を砂浜に付けると、2人の目が変わった。互いに本気でやるようだ。海からの生暖かい風とぎらぎらと照りつける日差しが座る春也に心地良い。時間がゆっくり流れている。

「のこった」春也の掛け声と同時に、時間が急に動きだし、2人の体はパチンと汗の音を立ててぶつかった。周りにいた海水浴客の何人かがこちらを振り返った。

相撲と呼んだものの、土俵もないのでどちらかが倒れるまで続く。まわしもないので、海水パンツ代わりに穿いているスパッツを掴むしかないが、スパッツは伸びてしまい掴んでも用をなさないので、2人は腕や背中などを掴みあっている。

荒藤が体格でも一回り大きかったし、実際に押しているのも荒藤だったが、荒藤の息はあがり、ばてているのかやや苦しそうな表情をしている。佐崎の方は、荒藤のあごの下に頭をひっつけ、静かな表情は変わっていない。ときおり、下から上目使いで荒藤を見る佐崎の目は獲物を狙う動物のように見えた。荒藤が何度か投げようと試みるが、佐崎はうまくかわしていた。業を煮やしたか、荒藤はやたらめったら力で佐崎を押し始めた。動き回って、少し離れた他の海水浴客に近づいていきそうになっては春也が2人を止めた。いつのまにか、周囲の注視を得ている。

何度目かに荒藤が佐崎を押した時、佐崎はその力を使って荒藤を投げようとした。一瞬、荒藤の長い体がバランスを崩したが、すぐ荒藤は態勢を持ち直し、逆にバランスを崩した佐崎の背中に長い腕を回して投げた。ちょうど払い腰のような形になって佐崎の体が浮いて、砂浜にたたきつけられた。

「っしゃあああ!! おおおう」

勝った荒藤が声を出して吠えると、周りの海水浴客ら何人かが奇妙なものを見るような目つきでこちらを見ていた。離れた場所にいる女連れの若い男2人が、呆れたような身振りを連れの女に見せ、首をかしげるのに春也は気づいた。海の浅い場所にいる若い女の一人がこちらを指さし、それを合図に何人かの女が、こちらを笑顔で見たのにも気が付いた。

「おい、大きな声を出すなよ。周りに迷惑だろ。それじゃあお前の嫌いな調子に乗ってるチャラ男と変わらんぞ。周りにも見られてる。あそこで海に浸かっている子達はお前見て笑ってた。」

春也が半分面白がって注意すると、

「しょーもないことを言うな。おれは今、気分がいい。女がおれを見て笑っていた?そんなことはどうでもいい。女のことなど頭から完全に消えた。女がなんだ?この世に女はいないと思え。」

長い手足を投げ出し、大の字になって砂浜に寝転んで、まだ荒い息遣いをしながら、荒藤は言った。本当に気分良さそうに、目を瞑り、真上で光る太陽の日差しを浴びている。佐崎を見ると、こちらの会話などまるで耳に入っていないかのように、ひとり体育座りをして、

「くそ、負けた」

等と言っている。体中が砂だらけになっていたが、佐崎の息はあまりあがっていなかった。

2人がただ黙ってそうしていたので、春也は手持ち無沙汰になって、一人で海へ浸かりに行った。海へ浸かって、少し泳ごうかと思ったところで、すぐ近くに高校生くらいの若い女が4人いるのに気が付いた。先ほど、荒藤が大きな声で吠えた時に笑っていた女達だと気が付いて、春也はなぜか身構えた。相手に気付かれぬようにちらちらと見たので、よくは分からぬが、どれもこれも若い肌がみずみずしい。色鮮やかな水着を着た姿から、膨らんだ胸が目に入り、春也は慌てた。アップにした黒髪や若い肌などは高校生らしく幼さを残していたが、完全に女だった。浅瀬ではしゃいで遊んでいるものの、その姿はどこか周囲に見られていることを意識した大人の女のもののようで、どこかわざとらしい。春也は自分が女達に見られているのではないかと気になって、数分水に浸かっただけで、背筋を伸ばし、なるべく堂々と、その女達など一切気にせぬ体をつくって、海を出て荒藤と佐崎がいるところまで戻った。戻る途中、海できゃっきゃと話すその女達の声が追いかけてくるように感じる。

戻ると、荒藤と佐崎はさきほどの相撲の話題から発展し、いつもの体を鍛える話をしているようだった。

「いや、体重は重要だよ。体重によって、かなり勝敗が左右される。おれだって、デカい先輩とやったら勝てないし、同期だって伊東や山木とやったら、厳しい。俺の方が速い自信はあるし工夫の余地はもちろんあるが、やはり体重はでかい。だから食って体重を増やさなきゃならん。」

「まあな。ただ俺たちは相撲をやってるわけじゃないからな。ははは。俺たちは走れるようにもしておかないとならないし。」

「そうだな、動ける体を維持しつつ、体重をふやさなきゃならない」

伊東や山木というのは体の大きな部活の同期生で、伊東などは190cm125kg以上の巨漢だった。また食って体重を増やす話を荒藤がしていやがると春也は思う。部の先輩達やコーチは、下級生の顔を見るたびに、

「おい、食ってるか?食ってないだろ、こんな体じゃあまだまだだな。食事も練習の内だ。めし、食って体作れよ」

などと声を掛けてくる。一緒に食事に連れていき、飯代を奢ってくれる代わりに、腹がはちきれる程飯を食わされることも多い。大学の近くの飯屋に行くと、大食い記録の写真の中に、部員のものをよく見る。そんな影響を受けてか、元々体重が必要な運動をやっていたせいもあるだろうが、荒藤は飯を食って体を作ることを同期にも、今年新しく入ってきた1年にもさかんに主張した。ただ、荒藤だけでなく、部の誰もが体作りの重要性を理解していた。貧弱な体で練習に出れば、そんなことは体ですぐに理解することになる。怪我をするし、何より簡単にふっとばされて仰向けにひっくり返り、プライドの面でも惨めで恥ずかしい思いをすることになる。入部してからの1年半弱で、20人近くいる同期の誰もが体重を増やし、体格を変えていたし、春也も10kg程増量していた。

春也はしばらく砂浜に寝転んで、2人のトレーニング話を目を瞑り聞いていた。他の海水浴客と違って、下に敷くシートもないから、また体が砂だらけになった。日を除けるパラソルももちろんなく、3人の周囲にあるものと言えば、脱いだ服を入れてあるみすぼらしいスーパーのビニール袋だけだった。

目を瞑り、体がじりじりと焼けていく感触を感じていると、波の音と2人のトレーニング談義に混じって、きゃっきゃっと女のふざけ合うような声が耳に入る。顔だけを起こして薄目で周りを見ると、さきほど海に浸かっていた高校生らしき4人組の女達が春也達と少し距離を置いた場所で座って休んでいた。なんとなく、こちらを時々気にしているようにも見える。

「おい、さっきお前らが相撲取っていた時に、笑ってた子たちが、隣にいるぞ。若いな。高校生じゃないか。さっき俺がひとりで海に入りに行った時にもこっちを見てた。」

春也がそう声を掛けると、荒藤がおどけたような調子をつけて応える。

「女、女、女、女。えぇ?さっきからお前の頭の中には女しかないのか、おい。情けないぞ、しっかりしてくれ。俺たちは今、トレーニングの話をしていたんだ。お前を見ていただ?誰がお前などを見るんだ。海で沐浴する薄汚い坊主みたいな男をどこの女が見るんだ。完全に自意識過剰だろ。」

春也は荒藤が面白がって言っているのが分かる。

「すまん、じゃあいい。忘れてくれ。別に俺のことが気になって見ていたとは言ってない。相撲をするお前らに関心を持っていたと言っているんだ。その後、たまたま俺が海に行ったから、お前らの一味である俺の方も見たという意味だ。だが、もういい。トレーニングの話を続けろよ。」

春也が言うと、

「いや、お前のせいで完全に話をする集中力が切れた。もうトレーニングの話には戻れない。責任を取れ。それに、たしかに、俺のことを見ていたというのなら…まあ、分かる。で、その女というのは右にいる4人組のことだな?」

「いや、もういいんだ。別におれはどうでも良かったんだ。ただ情報を伝えようかと思っただけなんだ。だが、女のことなど話すべきではなかった。どうかしてたよ。忘れてくれ。」

「いや、すまん。気を悪くさせたら、悪かった。右隣だな。よし。ちくしょう。なんで女というのはあんなにむちむちしてやがるんだ。たしかにこっちを気にしているな。ちくしょう。若いな。たしかに高校生くらいだな。でもなんで高校生が7月の平日に海に来れるんだ。まだ夏休みじゃないだろう。」

春也や佐崎を笑わせようとして、荒藤がわざと真剣な口調でそう言っているのかどうか、春也には判別がつかなかったが、春也はこのやり取りを楽しんでいた。佐崎も笑って会話を聞いている。

「やはりあれくらい若い方がいいな。さっきナンパされていたビキニの女くらいに女として出来上がってしまうと、体はいいが、もう心が擦れてしまっていて駄目だ。そこへいくと、あそこの若い女たちはいい。まだ純粋さを残している。」

などと荒藤は誰に言うともなく勝手なことを言っていたが、

「頼む、ちょっと行って声を掛けてきてくれ。」

と急に春也に頼みだした。

「声を掛けてどうすんだよ。一緒に遊ぼうとでも言うのか。自分で行けよ。彼女たちが興味があるのは俺じゃなくてお前なんだろ。」

笑って荒藤をからかいつつ春也は答える。自分が彼女達に話しかけることで、荒藤や佐崎が楽しめるなら別に行っても良いと思ったが、そうは言わないでおいた。

「声を掛けてこっちに連れてきてくれればいいよ。その後は俺に任せろ。だが、そのためには、最初に俺が声を掛けては駄目なんだ。本命の俺がナンパな奴だと思われない方がいい。ナンパな奴だと思われたくないんだ。な?だから頼むよ。それにあいつら、お前にも興味があるよ。俺は見たら分かるんだ。坊主頭が好きそうな子が中にいる。」

「ははは、勝手なことを言うな。」

海からの風が気持ち良かった。

「じゃあ、佐崎、お前頼むよ。行ってくれ。もったいないだろ、せっかく俺たちと仲良くなりたい女が目の前にいるのに。な?頼む。こういうことは佐崎みたいな比較的さわやかな奴がやった方がいいんだ。妖怪あずき洗いみたいな奴に頼んだおれが馬鹿だった。」

荒藤が今度は佐崎に頼む。妖怪みたいな奴と言われても、冗談と分かるので春也は別に悪い気はしなかったし、そもそも、そのあずき洗いなるものがどんなものか知らなかった。

「おれはいいよ。おれはそういうの苦手なんだ。お前ら2人で行ってこいよ。おれはここで見ておくから。」

佐崎が断るだろうことは、わざわざ聞くまでもなく荒藤も春也も分かっていた。佐崎が自分から知らない女に話しかけることは想像しにくかった。

彫の深い目鼻と美しい骨格を持つこの男は、足がやたらに速く、その長い手足をリズム良く振って直線を走る時など、雄の駿馬を連想させるほどきれいだった。プレー中は大きな声を出したりもするが、普段は大抵静かにしており、何を考えているのか分からないようなところがある。

20人近くも部活の同期がいると、練習後に飯に行ったり、休みの日に遊びに行ったりする際、自然といくつかのグループに分かれるが、佐崎は一人でいるか、荒藤と春也などと一緒に行動することが多かった。まだ、なんとはなしの集団が形成されていない入部して間もない頃、佐崎は同期の中でも器用そうな連中、荒藤が半分冗談で言うところの「高校のクラスの中心メンバーみたいな奴ら」に、一緒に飯に行こうと誘われることが多かったが、いつもそちらを断って、荒藤や春也がいる方へ来た。春也から見れば、佐崎は荒藤といるのが面白いのだろう、荒藤に惹かれているのだろうと思う。荒藤は皆の話題の中心にあることが多く、自分でも積極的に道化たりすることで、皆にからかわれたりしていたが、その運動能力や風貌も手伝って、同時に先輩、同期、後輩問わず、皆から一目置かれていた。「不器用な芋男の集まりのような奴ら」と自分自身を含めて荒藤が言う集団の中で、荒藤こそが「高校のクラスの中心メンバーみたいな奴」だと春也は思う。

とにかく、佐崎も荒藤に一目置いているし、荒藤も佐崎には一目置いていると春也は感じる。いくら自分が荒藤とふざけ合っていても、荒藤と佐崎のそういうお互いを認め合う関係には及ばないと内心嫉妬のようなものを感じていた。そういう軽い嫉妬心も手伝ってか、

「分かったよ、荒藤。佐崎が言う通り、2人で行こうぜ。」

と春也は誘った。

「ちっ、ぬらりひょんとか。まあいい。俺の足をひっぱるなよ。じゃあお前が先歩け。お前が先に話しかけろよ。その後は俺がなんとでもフォローしてやる。」

いつの間にか、あずき洗いがぬらりひょんに変わっている。後ろから荒藤がついてきているのを確認しつつ、砂浜をゆっくり高校生らしき女達4人がいるところに向かって春也は歩く。こちらが近づいてきたのを女達も気付いたようで、周囲の空気が変わったように感じた。こんな時、どんな表情で近づいていったらよいのか分からず、何とも妙なつくり笑いをする自分を間抜けに思う。一体何のために、あそこへ向かっているのかよく分からなくなる。自分が女と話したいからではない。荒藤と佐崎を楽しませたくてやっているのか、こういうことを気軽にできる自分を2人に見せたいのか、わけの分からぬ虚栄心だなと思う。以前の自分ならこんなことはできなかった。荒藤や佐崎が一緒だと思うからできるのだろう。そういう春也を荒藤は見抜いていて、

「お前は高校デビューならぬ大学デビュー。しかもその失敗している方だ。」

とからかう。とりとめのない考えが、嫌なドキドキ感と混ざってぐるぐると頭を回ったところで、女達の前に着いていた。後ろを見ると、荒藤が別の方向を向き、嫌々春也に付いてきたという体を装って立っている。

女達は目の前に立つ春也に明らかに気が付いているが、気付いていないふりをし、視線を合わさずあらぬ方向を見て固くなって座り、不自然な会話をしていた。春也は、ばつの悪い思いでそこに数秒沈黙して立っていたが、

「こ、こんちはー」

と漸く口にしたが、口の中がやけに乾燥していてうまく声が出なかった。やっと女達の中で一番明るそうな女だけがこちらを見て、照れたように軽く頭を下げた。

「えーと・・何やってんの?」

海水浴に来ているに決まっている。春也は馬鹿な質問をしたものだと自分で思う。

「みんなで話してます。」

同じ女が固い表情のまま答えた。フォローはどうしたと、春也が荒藤の方を見ると、それに気が付いたのか、

「みんな、高校生?ですか?」

荒藤がいつもより甲高い声で聞く。荒藤を見ると、顔の表情が固く、怒ったような顔をしている。例の女だけが小さく頷くと、

「今日は休みじゃないよね。学校は?」

高校生を補導しにきた警官かお前は、と春也は思うほど、荒藤の表情も口調も固かった。今日は学校の創立記念日で休みというようなことを、女が少し不機嫌な様子で答えている。荒藤が話しかけている間、春也は彼女達を見回す心の余裕が少しできていた。遠目で見たら大人っぽく見えても、近くで見ればやはり年齢相応の感じで、ピンク色のビニール製のバッグなどの持ち物や、海に入って落ちた化粧の下の表情に幼さを感じた。体つきは大人のそれと変わりなかったが、肌が若い。

荒藤も春也もそれ以上特に話しかけることもなく、数秒の沈黙が流れた。

「じゃあ、よかったら向こうで一緒に遊ぼうよ。あそこにもう一人いるからさ。あそこにいる奴、結構かっこいいと思うよ。」

春也は言って、佐崎の方に手を挙げたが、佐崎は気づかぬふりをして、海の方を見ていた。一緒に遊ぶとは一体何をするのだ、向こうへ行ったからといって何があるわけでもなく、自分で発した言葉が間抜けに思えた。それよりも、佐崎の容姿についての発言がひどく恥ずかしく思えて一刻も早くこの場を立ち去りたかった。案の定、女も返答に困ったようで、

「はあ」

などとこちらに視線も合わさず曖昧な発声をしただけだった。

「それじゃあ」

なるべく明るい声を出して、春也は踵を返した。荒藤が後ろをついてくる。本当は走って逃げてしまいたかったが、なるべくゆっくりと堂々と見えるように歩いた。しばらくして、女達の甲高い笑い声が後ろから聞こえて、恥ずかしさと情けなさで自分の背中が縮んでいくようだった。

佐崎のところまで戻ってくると、

「あいつら緊張してたな。全然かわいくなかったな。」

荒藤がまだ少し興奮した様子で言う。

「緊張してたのはお前だろ。なんだあのざまは。かちんこちんになりやあがって。『高校生ですか?休みじゃないよね』って、お前は生活指導の先生か。」

佐崎が隣で笑っていて、春也も言いながら笑顔になった。

「申し訳ない・・・。情けない、おれ。あいつらの体を見たら、急に緊張してしまって。

申し訳ない!」

ふざけて泣くふりをしながら荒藤が言い、急に口調を変え、

「ったく、あのくそアマども、調子にのんなよ。全然かわいくないくせに。無視しやがって。ガキが!」

怒ったように続けた。春也もようやく解放された気分になって、佐崎と一緒に笑った。

しばらく、もしかしたら先ほどの女達がこちらへ来ることも可能性はゼロではない等と言いながら、チラチラと高校生4人の女達を気にしながら砂浜にいたところ、若い男4人組が彼女達に近づいていくのを見た。男4人はどれも痩せていてよく日焼けをしている。申し合わせたように、4人とも大きめの水着を穿いて、茶色の髪が首まで伸びている。

「ふん、チャラ男が。またナンパか。見てろ、どうせ失敗すんぞ。」

それに気付いた荒藤が言う。彼女達は、春也と荒藤が声を掛けた時と同じように、はじめは警戒する様子を見せて、受け答えもあまりしていない様子だったが、次第に彼らの言葉に笑顔を見せ始め、男達はしばらくすると、彼女達のそばに座り込んで話し始めてしまった。何を話しているのかはもちろん聞こえないが、何やら楽しそうに話している。

「あんなのがいいのかよ。くそ。あいつら全然見る目がねえな。」

荒藤がそれを見て、ひとり呟いている。

「今日スパッツじゃなくて、あのチャラ男達みたいに普通の海パン穿いてくれば良かったな。」

荒藤が言うと、

「それはあんまり関係ないだろ」

と佐崎が笑って応えていたが、急に思い立ったように荒藤は立ち上がり、

「ちょっと、おれ行ってくるわ」

と言ってひとりどこかへ離れていった。

15分位経って、荒藤が戻ってくると、いかにもさっぱりしたという風な口調で、

「どうにもイライラするから、あそこのテトラポットの上から、海へ放出してきた。お前らも雑念を捨てたかったら、ちょっといってこい。すっきりするぞ。俺はこれでやっとトレーニングに集中できる。」

「おいおい、まじかよ。」

佐崎と春也は笑ったが、荒藤は別に冗談でそう言っているものでもないようだった。

「よし、じゃあ、走るぞ。お前ら、そんなところでゴロゴロしていないで、早く立て。」

荒藤の掛け声で3人は浪打際を走り始めた。遊泳区域から外れて、掛け声でダッシュとジョギングを繰り返し、海岸線をどこまでも走っていった。打ち寄せる波が夏の午後の日差しに照らされてきらきらと光っている。黒のスパッツ姿一枚でダッシュを繰り返しどこまでも走っていく3人の姿は傍目には異様に見えたかもしれない。一度、遊泳区域外で遊ぶ若い男達の一団の真横を走り過ぎたが、3人が走り近づくと、浪打際の道を開けた。若い男達は、道を開けた後、怪訝そうに荒藤と佐崎の方を振り返るのを春也は見たが、そこに自分より強い男を畏怖する表情が含まれているように思えて、気持ちがすっとするのを春也は感じた。前を走る堂々たる体躯の2人の筋肉が躍動するのを見て、春也は自分の体も同じようにしなやかに踊っていることを期待し、想像した。前を走る2人から跳ねかかる泥も海水も春也は気にならず、このまま、夏の太陽と空の下、永遠と続く海岸線をどこまでも走っていけそうな気がした。

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