男にとってsexは存在の肯定であり、自慰は自己否定である

生き方

セックスとは外形的にみれば、単に体の一部が、体の一部に入るだけのことであるが、どうして男はこうもセックスを重要視するのか(重要視するのは女もだが)。男はセックスを経験していないというだけで、焦ったり、情けなく思ったり、恥ずかしがったりする。童貞である自分を恥じたりする。

子孫を残すことが本能だからというのは当然だが、別の側面から考えると、男にとってセックスができたというのは、自分の存在が認められた、肯定されたということだからでもある。

どんなに良い大学に入ろうが、仕事で業績を残そうが、スポーツで業績を残そうが、賞賛の言葉を大勢から受けようが、その承認、肯定というのは、たった1回のセックスに及ばない可能性だってある。

頭が良い、性格が良い、運動能力が高い、強いと褒められようが、そんなものは口先だけの賞賛かもしれないし、少なくとも自分という人間についての一側面への賞賛・承認にすぎない。それに対して、女にセックスを受け入れられるということは、自分という一個体・生物全体の存在肯定なのだ。知力、体力、武力、人格、そういうものの総合評価として、自分という存在が少なくとも肯定されたという証左なのだ。そしてそれが嘘である、社交辞令であるということは、原則ありえない。社交辞令でのセックスというものはほとんどない。

当然のことであるが、男にとってのセックスと女にとってのセックスではその価値が異なる。女にとってのセックスは、男にとってのそれほど存在の肯定ではない。女は妊娠・出産・子育てというリスクを背負って男とのセックスを受け入れる、男を選ぶのに対して、男にとってのセックスはもっとハードルの低いものだからだ。みんな言ってる話だ。男はどうでもいい女とだってセックスできる。女は簡単にセックスしづらい。だからセックスによって得られる肯定感も異なる。男にとってのセックスはゴールであるが、女にとってのセックスはスタートだ。

自慰により吐精することは自己否定のようなものだ。セックスを諦め、女と世界と断絶する。自分の遺伝子が女に、世界に受け入れられなかったという否定だ。自慰により古い精子を出し、次のセックスに備え新しい精子に変えているという説もあるようだが、女に、世界に受け入れられている男は、精子を無駄に捨てる必要などない。古い精子が嫌なら常にセックスにより射精すればいいからだ。

セックスは自己肯定感を高める。言い換えれば、自信を高めさせる。当たり前の話だ。世界から、女から、あなたの遺伝子を頂戴と認められたのだ。そして、自信のある男は、またセックスができる。往々にして、知力・体力などなどの能力が実際にあるかどうかよりも、自信があるかどうかの方が、セックスができるかには、女にモテるかどうかには重要だったりする。女には実際の能力を測ることが難しいので、自信があるかどうかで判断することが多いからではないか。

自信などというものはカラ自信でも問題ない。男だって、自分と周囲の能力を全て比較できるわけではないのだから、結局自信などというものは根拠のないものだ。そこで、セックスというものは、カラ自信を持たせるのに大きな力がある。自分は世界に、女にその存在を認められたという自信。男を選ぶ女から認められたのだから、周囲と比較して、知力・体力その他総合して、自信を持っていいはずだと無意識に思う。

セックスは自信を、自己肯定感を高める。そして、自信がある男はまたセックスを受け入れられる。好循環が始まる。それゆえに、若い頃、スムースにセックスができたかどうかは、後々にまで大きな影響を与える。

だが、そんなものは実際はまやかしに過ぎないかもしれない。自信など実態のない、根拠のないものだからだ。仮にこれを童貞の方が読んでくださっているとしたら、童貞であることを誇りに思ってくれ。何が書きたかったのかわからなくなった。以上です。

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