自分の「繊細さ」に自信を持つ

生き方

「繊細」。この言葉を聞いて思い浮かべることはなんだろう。端的に言って、女であれば、良いイメージ、男であればマイナスのイメージではないだろうか。実際に、「繊細」な男というのはマイナスな面が現在の社会では多いと私は実感として思っている。

俺たちは何に対して「繊細」なのか

繊細と一言で言ってもいろんな種類の繊細さがある。例えば、食べ物に繊細ですぐアレルギーを起こすとか、他人にどう思われているかとても気になる繊細さだとか、感受性が豊かで芸術を理解する繊細さがあるとか。

例示した前の2つはマイナスイメージ、最後の1つはプラスのイメージだと思うが、私はどの繊細さもつながっていると思っている。たいてい繊細な人は、どの繊細さも比較的多く持っていると思う。

「繊細」は悪いことではない

英語では繊細なというとsensitiveという単語を思い出すと思うが、それは見てのとおりsenseからきている。感覚が鋭敏だということだ。感覚が鋭敏だということは、プラスにもマイナスにもなりうるが、現代社会ではマイナスになりがちだ。「鈍感力」だとか「反応しない練習」だとかの本が売れていることでも分かるだろう。鈍感な人の方が、ささいなことに反応せず、人生をいい意味で傲慢に生きていける。例えば、痛みにも、アレルギーにも、人間関係においても。

では、進化生物学的に考えて、なぜ我々のような繊細で気が弱い男達が淘汰されず、ここまで残ってきたのか。それは上にも述べたように、感覚・センサーの鋭敏さが生存に有利に働くことがしばしばあったからだ。繊細な男はすぐに風邪をひく。食べ物でもすぐアレルギーを起こす。仲間外れにされることにびくついている。人の評価を常に気にしている。ちょっとした物音でもすぐ目を覚まし、熟睡できない。

こう書くと全てマイナスのように聞こえるが、言い換えれば、病気に鋭敏に反応できるセンサーを持ち、悪い食べ物を察知できる能力を持ち、良好な人間関係を維持できるよう他者の考えに機敏に反応できる。身体的な危機にもいち早く気が付き、危険を避けることができる。

我々の繊細さは、長短表裏一体なのである。

自分の繊細さに、弱さに自信を持つ

俺たちは自分の繊細さに自信を持つべきだ。そしてそれを武器をして使うのだ。現代社会ではなにかとマイナスになりがちな繊細さではあるが、使いようによっては強い武器になる

繊細で弱い男は、人の痛みが分かる。人が何を考えているか、よく考え察知することができる。その能力は人間関係を築く上でも、例えば仕事をする上でも、非常に役に立つ能力となる。相手の求めているものを良く察知した上で行動できるのだ。

食べ物とか刺激に対する鋭敏さだって、武器になる。俺たちの体は、他の人より高性能なセンサーを積んでいると考えろ。外部からの刺激に対しても、自分の体から発せられる声に関しても、メッセージを聞き取れるということだ。具体的に言えば、自分が何を食ったらいいかとか、どういう環境を自分の体が求めているかとか、何をしたいのかとか、そういう自分の本当に求めているものに気づくことができるのだ。自分の人生を最適化する能力に優れているということだ。以前に書いた「心の声」を俺たちは他の人たちよりも、うまく察知できるんだ。

あとは、自信と勇気をもって行動に移すのみだ。人間関係でも、食事でもなんでも、鋭敏な感覚でも外部環境を察知し、よく考え、自分の正しいと感じる道を実行するのみ。自分の鋭い感覚を信じろ。この食べ物は自分の体にとってよくないと思ったらやめとけ。ここに住むべきと感じたら、そう行動せよ。人間関係でも、ここでは強気にでるべきだとか、呼び捨てにすべきだとか、君づけで呼ぶべきだとか、そういう細かいことにも俺たちは気を取られる。その時にも、自分の感覚を信じて、勇気をもって実行するんだ。だが、強気に出るべきか、君で呼ぶかさんで呼ぶべきかなんて、考えたくねえから、いつも謙虚に、みんなをさんで呼んでもいい。

大丈夫だ。俺たちの繊細さは武器になる。一緒にがんばろうぜ。以上です。

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