俺たちは分かった気になっているだけ 言語も五感も

生き方

言葉はすごいものだ。思考という形のないものを形にして、伝えることができる。思考がエネルギーを持つなら、言葉がエネルギーを持つのは当然だろう。言霊とか言われたり、歌詞や文学作品からエネルギーを感じるのもそのためだと俺は思う。

当然のことだが、思考を100パーセント言葉にすることはできない。思考を言葉に変換した段で、伝えたい内容は少し落ちる。

そして、言葉は受け手に完全には伝わらない。だから、言葉を聞く人、読む人の段で、最初伝えたかった内容はだいぶ変容しているはずだ。

そんな当たり前のことだが、俺たちは常日頃、会話などする中で、相手の言いたいことを分かった気になって過ごしている。というのも、言葉が思考を変換する主なツールであり、今のところそれ以上の変換ツールはないからだ。

俺は他言語(英語・中国語)を勉強したとき、上記のことを、強く感じた。自分がよくできない言語だから、相手のことを理解できない。だが、それがたとえ母国語であっても、完全には理解できてはいないのだ。

ただ、母国語よりも分かりやすい言語が他にないから、分かった気になっているだけだ。理解したつもりになっているだけだ。

それは他の五感、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚にも言える。世界が俺たちの外側に広がって在るとき、または世界が俺たちにメッセージを放つとき、俺たちは五感を通じて世界を認識する。

俺たちは、五感以上に世界を認識する術を持たないものだがら、この五感で知覚しうるものを世界の全てとして、分かった気になっている。理解した気になっている。ほんとは色んなものが見えてない、感じられていないのに。

カエルの目は、動くものしか見えないという。カエルにとっての世界は動くものだけかもしれない。なんて狭い認識の世界だろうと俺たち人間様は思う。

だけど、俺たち人間の認識も実はそんなものだ。全然世界を認識できていない。きちんと理解できていないんだ。

言葉も世界もきちんと理解できない俺たちがすべきことは何か。それは謙虚であることだと俺は思っている。

俺は分かっていないかもしれない、あなたを理解できていないかもしれない。分かった気にならず、謙虚な姿勢で生きていきたい。

謙虚な人には、見える世界が変わってくる。もしかしたら相手は、世界は、俺が思ってるのと違うかもしれない。そんな余白を心に留めているからだ。

言葉は悪いが、馬鹿は自分が馬鹿だと分からないことが多い。せめて自分が馬鹿だと分かっていたい。

コメント

  1. エネルギッシュな女 より:

    自分はなにも理解できない、自分は間違っていると思って、周りの目を気にして生きたらいいのですか?自分は馬鹿でもいいので、もっと自分を信じて、色々と間違えながらも、自分で正解と思う道を突き進みたい!

    • 佐崎慎治 S野M男 こと 佐崎慎治 より:

      エネルギッシュな女さん、コメントありがとうございます。周りの目を気にしてという意味合いではなかったのですが、エネルギッシュオンナさんのおっしゃるとおり、分かってなくても自分の道を進みたいですね。その上で謙虚でありたいなという感じです。

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