何を心の拠り所として生きるか

三連休明けの方が多いだろう火曜日、皆さんはどんな気持ちで仕事に向かっただろうか。私は、いつもなら陰鬱たる気持ちで朝を迎え、職場に向かうのであるが、今週は比較的気持ちが落ち込むことなく、仕事に向かうことができた。オナ禁のおかげであるなどというつもりはない。

心の拠り所がある人は、毎日を頑張れる。頑張るための何があるのだ。それはなんでもいい。週末のオナニーが楽しみだから、平日をゾンビのように乗り切るのだって、一概に悪いとは言えない。平日も休日もまるで楽しみがなく、絶望してしまうより、オナニーが楽しみの方が幾分ましだ。

人間は希望なしでは生きていけない。心が死んでしまう。

何も楽しみがない、希望がない、拠り所が見つからないという人だってあるだろう。そんな人は、自分の変化を楽しむしかない。なんでもいいから、長いスパンで見られる変化に期待をかけて、何かに取り組むことだ。変化という希望があれば、頑張れる。

どんな些細なことでも、くだらないことでもいい。自分が変わり、この現状から抜け出し、何かあるかもしれないと思えればそれでいい。実際には何も変わらなくても、変われるかもと期待できれば、それで十分なのだ。

私は最近、自分の気持ちを客観視することを心がけている。自分の斜め上の空間あたりに自分の気持ちを置いて、今の自分を眺めるのだ。眺める、見るだけでなく、自分の気持ちを客観視する。俺は今、気持ちが落ち着いているなとか、ざわついている、腹が立っているとか認識する。そうすると不思議とネガティヴな気持ちがあっても落ち着くのだ。

こんなどうでもいいような試みでも、何もやらないよりは、希望を、元気をもたらしてくれる。

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