ネズミ男、車輪の上を走る

弱い男の生き方

飼育ケースの中のネズミ男が、あのくるくると回る車輪の上を走っている。ケースの外には大きな道が見え、そこを走るべきなのにと自覚していても、車輪の上を走ることをやめられない。

車輪の上を走っても餌がもらえるわけでもない。ここを走っても意味がないと分かっているのにやめられない。勇気がないから。他のネズミも走ってるから。

毎日残業する俺はさしずめそんなところだ。頭では夜遅くまで働くことが、自分のために、家族のためにならないと思っていても、やらねばならない仕事として提示されるとやらねばならないとその瞬間瞬間は思ってしまう。もっと別の重要な時間の使い方があると思っているのにだ。

経営者なら話は別だが、自分の人生の時間を、家族との時間を削ってまで、犠牲にしてまで、残業せねばならないことなどないと俺は思う。個人の選択の問題でもあるが。

とにかく、なぜ俺は合理性のないと普段思っていることを続けてしまうのか。目の前に人参ならぬ、仕事をぶら下げられると走らねばならぬと体が反応してしまう。その仕事を終わらせなければならないと。

それは果たして責任感と呼べるものなのか。皆がやってるから自分もやらねばならないという気持ち。自分がやらねば誰かに迷惑がかかるという気持ち。それは大切な時間を犠牲にしてよいものではない。

勇気をもって他人に迷惑をかけるべきか?組織に迷惑をかけるべきか?さばききれない業務量が個人に与えられたとき。それを勇気と呼んでいいのか。

皆の考え方、行動が変われば、それができる。もはやそれは迷惑ではなくなる。皆の行動が同じだからだ。こういう仕事のやり方、社会のあり方でいきましょうよという合意、常識が形成されたということだ。

その合意ができていないとき、まずは一人ひとりが行動せねばというのは分かる。それを俺たちは勇気と呼ぶのか、無責任と呼ぶのか。

そんな呼称などどうでもいい。そんな呼称など、つまりは他人の評価だからだ。そんなもの時代や文化によって変わる価値観だ。

つまり、自分がこうあるべきと思うものに従って、行動するしかない。

コメント

  1. 四十路独身の通行人 より:

    以前から興味深く読ませてもらっています。ちょっと惹かれるものがあったので。
    全てではありませんが、過去の分も読ませていただき、M男さんの考え方、生き方、行動指針等だいたいは理解できたつもりです。充分伝わりました。
    そろそろ次のステージで新しい領域の話聞きたいです。

    • 佐崎慎治 S野M男 こと 佐崎慎治 より:

      四十路独身の通行人さま、コメントありがとうございます。また、過去の分もかなり読んでくださったとのこと、感謝です。私もそろそろ新しいステージに行きたいと思っているのですが、停滞しています。例えばどんなステージで、どんな領域の話を期待されますでしょうか?

      • 四十路独身の通行人 より:

        次のステージは私みたいな社会の最下層にはわかりません。M男さんなら何かありそうだなと。何かやってくれるだろうなと。
        M男さんの主張や社会への対峙の仕方も繰り返し表現されてきたし、オナ禁も、やったりやらなかったりを繰り返してるだけでこれ以上なにかあるのかなと。
        同じことを違う角度から表現することの繰り返しになってしまってるような。
        とりあえず私は早く結婚して幸せな家族を築くことだけが人生の目標です。でもM男さんは、そんな平凡な考えではないような気がして。

        • 佐崎慎治 S野M男 こと 佐崎慎治 より:

          ご返信ありがとうございます。自分でも同じことを繰り返すだけになっているのは、とても感じています。かといって、次のステージなるものに簡単に行けるわけでもなく、なんとかしたいところです。がんばります。
          結婚して子供を作りしあわせな家庭を築くのは、十分素晴らしい目標だと思います。私にとっても目標です。