【警察小説・Kiss the Rain】第11話 冬①

警察官小説(刑事モノではない)

《 冬 》

12月に入って辺りはめっきり冷えた。夜中、警ら中に外で吐く息は去年と変わらず白く、凍える島田の思考回路をさらに霞ませた。仕事の傍ら島田は彼女とより頻繁に会うようになっていた。彼女に返事をもらって以来、一度何となく疎遠になりかけた二人であったが、署内の柔道大会の後から再び島田と彼女は会うようになっていた。以前と変わらぬ感じで彼女は島田を食事やおしゃべりに誘う。島田からの告白など無かったかのように、彼女と島田は時間を過ごした。伊藤の話はその後一切出なかったし、島田が伊藤を締め落とした話にも彼女は触れなかった。島田の気持ちを確認するような会話もなかったから、島田の方でも、自分の気持ちを再度前面に出すようなことはしなかった。交際を断わった島田をどういうつもりで彼女が食事などに誘うのか島田は図りかねたが、その内島田の方からも彼女を食事などに誘うようになったので、二人が会う機会はさらに増えた。変ったことといえば、以前は他の友人らも合わせて多人数で会うことが多かったのが、最近はほとんど2人だけで会うようになったことだった。

12月の寒い日に、昼食を食べに来ないかと彼女から電話があって、島田は彼女の部屋に行くことがあった。彼女の住んでいる場所は以前より知っていたが、部屋に入るのは初めてで、島田は緊張して足を運ぶ。白を基調とした小さいが小奇麗で温かみのある部屋で、炬燵に入って鍋など突付いていると、その緊張もゆるりと解ける。いつものように取り留めのない会話でささやかな笑いが何度か起こった後、彼女は相談があると切り出して、伊藤先輩の話を始めた。付き合ってもうすぐ4年になり、相手は結婚を求めている。魅力的な人だし、自分も彼のことが好きだ、自分もそろそろ結婚する年だとは思う。ただどうしても結婚に簡単に踏み切れない。その理由を言葉で説明するのは難しい。そもそもそれがなぜなのか自分でもよく分からないところもあると彼女は言う。

ひとつだけ説明できる不安としては、伊藤先輩の女性関係のことだと彼女は言った。彼の態度から察して、本気で付き合っている別の女性がいるとは思っていない。でも、浮気で体の関係を持ったりしているんじゃないかと訝ってしまう。彼が性風俗に行ったことがあるという噂を聞いたこともある。きっと自分の杞憂だと思うし、何で彼を信頼しないのかと何度も自分を責めた。でもその不安がいつも頭をよぎると彼女は言う。

「こんなこと相談できる人いなくて、教会の人達にも話せなくて。こんなこと島田くんに相談することでもないのに・・ごめん。ただ、島田くんになら話せると思って・・。それに島田くんは同じ警察で、寮も一緒だし、そういうこと知ってるんじゃないかなとも思って・・・」

彼女は何だか泣き出しそうな小さな声で言った。

島田は混乱した。風俗に行っている男など周りにいくらでもいたし、むしろ若い同僚警察官の中に風俗に行ったことがない男を探すことのほうが難しいくらいだったから、伊藤先輩が風俗に行っていたとしても何の驚きもないし、むしろ当然かもしれぬと思う。実際、島田は「伊藤先輩に風俗に連れて行ってもらった」という後輩の話を聞いたこともあり、彼女という存在がありながら風俗に行っているかもしれぬ伊藤を島田は内心、以前より心穏やかに感じてはいなかった。

そういう噂を彼女に伝えれば、彼女はどう思うだろう。伊藤と別れて、島田は彼女を手にいれられるかもしれぬ。いや、おれは結局ピエロなんだ。彼女はおれを使って伊藤のことを知ろうとしただけだ。島田が伊藤と同じ警察署で働き、寮も一緒だから、こうして今日も昼食に誘われたのかもしれぬ。島田はそうわずかの間に思いを巡らせ、彼女の部屋にのこのこ緊張して出てきた自分を情けなく思う。島田は彼女の質問にどう答えるべきか迷ったが、

「おれは伊藤さんとそんなに親しくないし、あんまりよく知らないよ」とだけ答え俯いた。彼女は島田の回答に失望したのか、島田の目には、彼女も残念そうに表情を曇らせたように見えた。その後二人とも言葉少なになって、島田は間もなく片付けをして部屋を出た。

彼女の部屋を出ると、辺りは暗くなっており、12月の寒風が島田の頬をきりきりと乾燥させた。しなびた薄い上着の前をきつく閉じ、背中を丸めて通りを歩けば、いつか以前にもこういう風の匂いと寒さの中で暗い街を歩いたような気がしてくる。いつか風俗に行った帰りだったかもしれぬと、先ほどの彼女との会話を思い出しつつ、あまり思い出したくもない自身の過去が頭の中で流れていく・・。

島田は今も童貞だった。周囲のカップル達が羨ましくて、多分すごくセックスがしたくて、好きでもない女に交際を申し込んだり、大学、コンパ、キャバクラ、風俗、バイト先、海、出会い系サイト、ネットの掲示板、色んな場所で、会ったばかりの女のケツを、会いもしない女のケツを、無様に追いかけたりした。強がったり、かっこつけたり、影のあるクールな男の振りをしたり、陽気な男になったり、社交性のある男に見せたり、孤独ぶったり、哀しそうにしたり、いろんな自分を作っては、ひとには見せたくない情けないことをして、その度ひどい自己嫌悪に陥った。積極的に、吐き気のするような行動で女を追いかけるのに、いざ女性の前に出るとからきし駄目で、身も心もかちんこちんに固まって、自然な笑顔も作れなければ、冗談のひとつも言えなかった。だからきっと、色んな自分を試しているように自分では思っていたけど、おそらくいつも女の前に現れるのは、無様なピエロだったのだろう。

数打ちゃ当たるというのか、そんな島田にも彼女がいたことはあった。大学3年生の時、島田は初めて女性と交際した。彼女は大学の同級生で、大して好きでもなかったが、付き合ってくれと言ったら、OKだった。やさしそうで、大人しそうな女の子だった。垢抜けないダサい女の子だと島田は思っていたが、胸の大きい可愛い子だったように今では思う。付き合って4‐5か月くらいの頃、デートをして帰りが遅くなった際、彼女は寮の門限があって帰れないと言い、ほとんど彼女自ら島田の4畳半のボロ下宿に泊まりに来た。北国の、暗くクネクネと曲がる細道を、原付に2人乗りして下宿に向かう途中、彼女の大きい乳房がやたらと島田の背中に当たり、島田は背筋を伸ばしそれを避けた。

下宿の部屋に着くなり着替えを済ませ、「明日練習だからおれはもう寝るよ」と強張った表情で告げると、彼女は「うん」とだけ答え、畳の上の固く湿った狭い布団に2人で入る。湿った洗濯物が部屋干しされた隙間風の入る古い部屋で、2人、仰向けに真っ暗な天井を仰ぎ、目を瞑っていた。やたらと落ち着かぬ心持ちで、部屋干しされた洗濯物のむわっとした臭いだけがやたらと鼻につく。勃ったら、やろう。近い内に別れるだろうし、相手に悪い気もするが、勃起したらやろう。11月の北国の寒空の下、50m程離れたコンビニエンスストアに背中を丸めて真夜中にコンドームを買いに行くべきか考える。その一方で、隣で横たわる好きでもない女に、島田は嫌悪を覚えていた。肩が触れる程の距離で横たわる女がどうにも始末に負えぬものに思えて、正直帰ってほしいとも願う。10分程悶々としている内、偶然か故意か彼女の指が島田の手に触れてきた。その指を避けて、彼女に背を向け横向きに態勢を変える。島田の陰茎はいつもより小さく縮んでいる。祈るような気持ちで、こっそりと自らの指を亀頭にあてがい何度もさするが、陰茎はぴくりとも反応しなかった。1時間程待った後で島田は諦め、失望と安堵を抱えて、寝息の聞こえぬ女の横で、石のように固まる女の横で、いつか浅い眠りに落ちていった。朝早く目が覚めたが、女は既に隣にいなかった。メモ用紙に、泊めてくれてありがとう。寮に帰るね。と優しげな字で書き置きがあり、そこにはニコニコと笑ったスマイルマークが描かれていた。その日の午前中、部活の練習に行く前に、電話で彼女に別れようと話すと、彼女は悲しそうな声で「うん、分かった・・・ごめんね」と言っていた。

その後、2人の女性と交際したが、セックスは無かった。それは交際と呼べるのかすら分からないものだった。相手に悪いという気持ちからセックスできないという理由もあったが、島田は自分の性器を相手に晒したくなかった。島田のそれは、最大に勃起しても水平くらいまでしか起き上がらず、その上、下に大きく反り返っていた。その様態は、小中学校の水道の蛇口か、下方にカーブするバナナを連想させる。そんな性器でそもそも挿入可能なのか、仮にできたとしても女が痛がるだけではないのかと、島田は考え、大きなコンプレックスとなっていた。

25歳を過ぎて童貞は情けないと友人にもからかわれ、島田自身もそのように思い込み、性欲も旺盛だったから、風俗に行った。本番までやらせる、厳密には違法だろうヘルスに3度足を運んだ。不細工な顔も体もよく見えぬ、肥満の、20代ということだけが取り柄のような女と人生で初めてのセックスを試みる。暗く、不衛生に思える2畳ほどの狭い畳のスペースに、布団とも毛布とも判別のつかない湿気を含んだ臭そうなものが敷かれている。一緒に来た友人が薄い壁を挟んで隣にいるのだろう。香水と、生臭い体臭と、紫色の暗い光と、低音が耳に響く音楽に交って、女の嘘か誠か島田には判別がつかぬ喘ぎ声が聞こえる。目の前に横たわるぶよぶよとした、汚い女に性欲は全く感じず、焦りと失望が滲み出る仏頂面で、薄汚れた壁を睨みながら、女の口による物理的な刺激のみで勃起を目指す。果てそうになりながら漸く固くなった陰茎が、肥満女の性器の前で何度も萎える。挿入を試みるたびに萎える自身に、焦りと緊張と失望を覚えながら、女も島田自身もほとほとうんざりした頃、島田の陰茎は女の口の中で固くならないまま、快感のほとんど伴わない射精をした。

「大丈夫?」何を大丈夫と聞いているのか分からぬ女の質問が余計に島田を惨めにさせる。

「学生の頃、部活で一度ここを強く打ってから、調子がおかしいんだ」

つかなくても良い嘘をつく。なんでそんなでまかせを言うのか、こんなところで、こんな場面になってもまだ格好つけたいのか。

「それなら病院に行ったほうがいいよ・・」

女の言葉が島田の惨めさに追い打ちをかける。しかしなるほど、病院に行くべきなのかもしれぬと妙に島田を納得させたりもした。

懲りもせず、その後期間を置いて2度、同じような安い風俗店に島田は行った。2回目に行ったときは、申し合わせたように、同じような女が出てきて一度目と同じような状況を繰り返した。相手が悪かったと言い訳をしては、3度目の正直で比較的島田の好みの女性に当たったが、やたらと緊張してほとんど固くならない。何度も挿入を試みた後、以前と同様口の中で果てそうになって、漸く僅かに固くなった陰茎を挿入しようと女の性器にあてがったところで、島田のお辞儀をした陰茎から精液が涙のように何度もこぼれた・・。

彼女の家からの帰り道、島田は思う。女にもてず、性交できないことくらいで不幸や不運を気取るつもりは毛頭ない。そんな馬鹿にはなりたくない。でも、病気と障害と貧困と自身の吐しゃ物にまみれて死んでいたあの男でも、自身を不幸だと思ってはいけないのですか。真っ暗な歩道で、肌を突き刺す12月の寒風がカサカサと枯葉を動かす音を立てて島田の横を通り過ぎた。

彼女とはその後も頻繁に会った。他の友人がいるときや教会で会った際には、以前と変わらぬ彼女であったが、二人で会う際には世間話の合間に必ず伊藤先輩に関する相談めいた話題が出て、その度に彼女は決まって悲しそうに目を伏せた。島田はそんな時、ただ彼女の話を聞くだけで、自身の意見らしいものを言うことはなかった。伊藤先輩の女性関係や風俗への出入りについて調べてみるつもりもなかった。柔道の試合以来、島田は可能な限り、伊藤と会わぬようにしたし、伊藤の方も島田とは会いたくないようだった。仕事や寮で否応なしに会うことはあったが、そういう時は伊藤が気まずそうに視線を避ける。それは戦いに負けた動物が取る行動を連想させ、島田を不愉快にはさせなかった。

島田は自分が伊藤と話していないことを彼女にも伝えていた。島田はそんな自分になぜ彼女がいつまでも伊藤との関係の話を続けるのか分からなかった。運動部で一緒だった、女性経験が豊富だと自称する友人に電話で話をすると、

「馬鹿かてめーは。だからいつまで経っても童貞なんだよ。その女はお前を誘ってるに決まってんだろ。」等と言う。彼女に限ってそんなことはないはずだと島田は反論するが、その友人は続けて言う。

「お前とその男を天秤にかけてるんだよ。女は計算高いからな。そんなことも分からんのか。そいつに柔道で勝ったんだろ?だったら奪えよ。一生童貞のままでいいんか、お前は。今度彼女の部屋に行ったら強引にいけよ。彼女だって待ってる。いつまでも行かなかったら何もできない奴だと彼女に思われるぞ。純粋な女だ?何も分かってねーな、お前は。その彼氏とだってやりまくってるに決まってる。彼氏と3年半も付き合ってんだろ?大体なんでお前を部屋にあげて、話なんかするんだよ。ちょっと考えたら分かるだろ。とにかく、次回行け。」

携帯電話の向こう側で、力の強い目で睨みをきかせて、長身の筋骨逞しい体を揺らしながら、男前のその男が話す様子が目に浮かぶ。たしかにそいつの言うことは正しいかもしれぬと島田は思う。今までいつだって、島田の周りの女達は強引な男に惹かれていた、求めていた。島田がほのかな好意を寄せる美しい女達が強い雄に次々と奪われていくのを、島田はいつもただ眺めているだけだった。雌を取り合う戦いに敗れ、意中の雌が強い雄と交尾するのを、サバンナで呆然と立ち尽くし眺めるシマウマのように。島田が求める清純な女などこの世のどこにも存在しない。伊藤先輩に抱かれる彼女の姿が脳裏に浮かび、おれも強引にならねばならぬと島田を焦らせた。

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