きっと誰かが頑張りを見てくれているという考え方の危うさ

弱い男の生き方

きっと誰かが自分の頑張りを見てくれている。組織で働いているなら、組織はきっと自分の適性や能力を把握して、自分に合った部署に配置するはずだ。組織で働いていなくても、世の中は私の頑張りや能力に応えて、自分に合った仕事や報酬が与えられるはずだ。

もし、そういう考え方をしているなら危ないと思う。その考え方は他者への依存の始まりだし、他人の人生を生きることの始まりだ。

他人も、組織も、社会も、あなたのことなど全然見ていない。あなたの頑張りなど、気づくことがあっても、それに報いようと考えるよりも、それをどう全体のために活用できるかと考えることの方が多い。

誰かが自分を見てくれているはずと考えること自体は悪いことではない。他者への信頼、組織や社会への信頼が表れた美しい考え方だ。

だが、その信頼が依存に変わる時、注意が必要だ。周りがなんとかしてくれる。社会がなんとかしてくれる。組織がなんとかしてくれる。

俺たちの人生をなんとかしてくれるのは、本当は自分しかいないのだ。

色んな選択を他者に組織に社会に任せるな。自分の生きたい人生は自分で選び、行動していかねばならない。

それは自己中心的になれということではない。自分の要望や権利ばかり組織や社会に主張し、自分は義務や貢献をしない人がいるが、それとは違う。

自分はこんなにしんどい状況なんだから、配慮されてしかるべきだなどと考えるな。あなたのしんどい状況など、表面的には配慮されるかもしれないが、究極的には、組織や社会は知ったこっちゃない。そしてしんどいのは自分だけじゃない。他者や社会が自分のことを見てくれないとひとりよがるな。

しかしだ。他者への信頼はなくしてはならない。他者への依存はせず、他者を信頼する。自分の人生は自分で選択していくんだ。と今日も自分に言い聞かせる。

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