いつも大変お世話になっております。を葬るには

Uncategorized

メール頭などの「いつもお世話になっております」「平素より大変お世話になっております」などが無駄だと言われて久しい。無駄だと思っている人はとても多い。でもなくならない。自然淘汰を生き残る強い生命体のように。いつまでもメールなどに寄生して生き続けている。

なぜなくならないのか、その理由はネクタイがなくならない理由に似ている。みんなつけている時に、自分だけ外したら失礼になるのではないか。外す勇気がない。みんながバニーガールの耳をつけている社会なら、日本は皆がつけるようになる。おしゃれにこだわって色んな耳が発売される。

疑問なくネクタイ着けてる俺はバニーガールコスプレしてる男と同じ件について
自分自身も含め、疑問なくネクタイやスーツ着てる人や、疑問に思ってもネクタイやスーツ着け続けている人達は、皆がバニーガールコスプレしてたら、同じようにバニーガールになっちゃう人達だと思うんですよね。多くの人がすでに言ってるけど、このネクタイという首輪を揃って首に巻いている光景て異様だと思う。

無駄だ、無駄だと言ってもなくならない。別にそれほど無駄でもないのかもしれない。

「お世話になっております」を署名に入れておいて、最初からすべてのメールに入るようにしている人もいるけど、それは世界全体にすでにお世話になっているという感謝の表れであって、省略化などでは決してない。

「へ」を入力すると「平素より大変お世話になっております」が登録されていて自動で出てくるようにしている人もだ。俺のPCでは「じ」と入力すると「授乳手コキ」が出てくるのと同様に、お世話になっておりますへの真摯な傾倒である。

そんなお世話への特別な思い入れがないメールの書き手が「いつも大変お世話になっております」と入力するのに所要5秒と考える。日本の労働人口約6500万人前後のうち、お世話文言を日々書いている人がテキトーに2000万人だとする。一人3通/日のお世話文言を書くとすると、2000万✖️5秒✖️3通=3億秒=8万3千時間。 読む側も0.5秒くらい目を奪われるとすると2000万✖️0.5秒✖️3通=3千万秒=8千時間 合計すると9万時間くらいを毎日日本ではお世話への感謝に費やしている。美しい国日本。

9万時間。1日の労働時間が8時間だと考えると、約1万人が一日中感謝だけを捧げ、捧げられているということになる。なるほど、混み合う満員電車でも舌打ちなどする人が一人もおらず、新宿駅で阿修羅の顔でぶつかってくる人が全くいないのも、この国には感謝の念が溢れているからなのかもしれない。

この国の慈悲を支える1万人の祈り人に休んでもらうわけにはいかないが、お世話文言がなければ、毎日1万人が休めるという考えになる。

無駄ではなくても、皆がこぞって「お世話になっております」と書いているのは健全でない気がする。メールという生命の中に寄生する生態系として考えて見ても、お世話になっておりますだけが単独で寄生しているというのは生態系としても健全ではない。

生態系として考えれば、このお世話文言を淘汰する方法も見えてくる。もっとバリエーションを増やすのだ。種のバリエーションが増えても、それが残るのであれば、それは必要であるということだ。ネクタイでも、もっと蝶ネクタイつける人、紐ネクタイをつける人、変わり種のネクタイをつける人が増えて行けば、ネクタイをつけないという選択肢が不自然でなくなる。そんな時、ネクタイという習慣は残れるか。

いつもお世話になっておりますの代替案には何があるか。

① いつもありがとうございます。

これを俺は一時期やっていた。お世話ってなんだかよくわからねえ抽象的なものよりという気持ちで、ただありがとうございますと書いてた。わかりやすく感謝の気持ちを伝えられると思ってた。ある日、好きな先輩から、笑いながら「それだと、すでに依頼を強制されている気がする。あらかじめお礼を言われて。」と言われた。それでやめた。

② 私はもう「お世話になっております」と書かないと1通目で宣言する

年賀状のように、自分がこれを書かないスタンスだと宣言してしまう。なかなかできない。面倒だから署名に入れて宣言しておいてもいい。そんなことわざわざ宣言しなくてもいいと思うだろうが、なんとなくお世話がないと文面を攻撃的に感じる人もいるらしいから。

③ その人との前回の思い出に触れる

「前回は○○ありがとうございました」「先日は○○大変助かりました」から始める。これは俺はやってる。書くのに時間がかかる。でも、こっちの方が意義を感じる。ただの様式美となったお世話になりますより、自分だけのために、本当にそう思って書いてくれてるんだなと伝わると思う。自動プリントされた年賀状文言よりも、手書きの年賀状文言というやつだ。みんな自分だけを見て欲しい。ただ、これも自分と相手の時間を奪う。

④ 拝

メール文末に、この拝があるのを時々見る。名前 拝 というやつだ。俺なら、佐崎拝。拝んでるのか。一文字だし、時間節約という意味では、最初に拝を持ってくればどうか。Hi 的なフレンドリーな挨拶にもなって一石二鳥だ。

色んなバリエーションが出てくれば、書かないことが不自然でなくなる。その時、本当に「お世話になっております」が必要だったのかそのお世話の真価が問われる。

こんなものを書いている時間で、もっともっと「大変お世話になっております」感謝に捧げられたではないか。

コメント

最近のコメント