【M男の欲望】第4話「恵里の禁欲7年目」

愛の小説

7年目

夫と結婚を決めるまでには時間がかかった。当人同士の意思は、付き合い始めて2年目には固まっていたが、いざ結婚をという際、夫の両親の反対にあったのだった。付き合い始めた頃は、周囲の人たちから、なぜ恵里はあの男と付き合っているのか、つり合わない等と言われていた。別に、夫と結婚をしてあげるなどという気持ちはなかったけれども、自分が選ぶ立場であるという傲慢な気持ちがどこかにあったのかもしれない。夫の親からあからさまな反対を受けた時は心外であったし、不快でもあった。

夫の母が言うところ、名家である佐野家の一人息子の嫁となる人には、それ相応の家柄ではないと困るというのであった。付き合って2年目に、始めて挨拶に行った際に見た夫の実家は、土地は広大であるものの、単なる裕福な農家としか恵里の目には映らなかったし、家柄などと言われても、そんなことを意識して育ってこなかった恵里にはピンと来なかった。初対面でそんなことを言われたことにも不快であったが、さらに驚いたのは、恵里の実家がある地域から考えて、恵里が同和部落の出身であるかもしれないと考えているらしいことだった。自分がどうこうというよりも、そんな偏見を持っていることが恵里には考えられなかった。

当事者2人の関係は悪くなかったが、そんな親の反対があって、結婚しないまま月日が経つうち、2人の関係も冷えかかっていた。穏やかで謙虚であるところなど、元々快く感じていた部分も、長く付き合ううち、積極性のなさや頼りなさ、男らしさの欠如というように、悪く見えてきていた。

親の反対を黙って聞いて、結婚を先延ばしにしているところにも、納得がいかなかった。あの親に甘やかされて育ってきたからなのか、考え方に甘い部分があり、いつか自分は劇的に変わるのなどと夢を見ているような部分も感じられた。実際、具体的な計画などまったくなしに、いつか自分は起業をして経営者になるのだなどと言うこともあった。

一度悪い部分が見えだすと、細部にまで気になる点が出てきた。例えば、夫には極端なところがあり、一度何かを好きになると、そのことばかりに執心する面があった。かつて2人でドライブに行った際、恵里が好きな曲がラジオから流れた。その曲が好きだと恵里が言うと、その後どこへ行っても夫はその曲ばかり流すようになった。好きな曲ではあったが、他の曲も聴こうと提案した。

「君が好きな曲だと言ってたし、俺も好きになったから。」

彼は不思議そうな顔をしていた。このバンドには他に良い曲もあると話すと、今度はそのバンドの曲だけをずっと聴いていた。自分の好きなものを好きになってくれた嬉しさとは別に、そういう極端さを奇異に感じた。

それでも、恵里に夫との結婚を決めさせたのは、夫の言葉だった。プロポーズの時に付け加えるように呟いた、

「君と結婚できなかったら、俺は生きていけない。」

という言葉は、自分が一緒にいてあげなければ、この人は駄目なのだと思わされて、自分の存在意義を強く感じたものだった。恵里はその長身やはっきりとした目鼻立ちのためか、気が強く自分に自信がある女と誤解を受けることが多かった。しかしその実、小さい頃から引っ込み思案で、自分に自信が持てなかった。自分が必要とされているのだと感じさせてくれた夫の言葉は、恵里にとって大きな拠り所となった。

恵里にとって、大きなコンプレックスとなっていた右足全体に大きく残る怪我の手術痕を初めて夫に見せた時には、

「僕の前では、隠す必要は全くないよ。僕は何とも思わない。」

と言って、傷跡を何度も優しくさすってくれたのだった。そんな夫の仕草を見て、この人は弱い部分があるけれど、だからこそ他の人の弱さも分かる人なのだと思ったのだった。

「恵里は見た目とギャップがあって、天然だよね」

恵里は、周りから時に棘も含めて言われることがあった。天然という言葉が正確にどういう人間を指すのかは分からなかったが、自分が天然だとは思えなかった。ただ、周囲の考えていることが理解できないことはあった。例えば、周囲の女達が誰かの陰口を言って笑い、恵里自身が陰口の対象になることもあったが、なぜそんなことが楽しいのか分からなかった。恵里が人と接するとき、まず見えるのはその人の良い点であり、良い人だと思い込みがちだった。自分自身が陰口を叩かれたりしてようやく、どうもあの人はそんなに良い人ではないらしいと思い直すのである。そんな性格だからか、恵里は人から良いように使われることもままあったし、悪口や攻撃の対象になることもあった。そこには恵里の整った容姿が無関係でなく、多くの場合は嫉妬を伴うものだった。

そういう恵里の性格は、皆そうであるように、育った環境で形成された。恵里の父親は厳しい人だった。長身痩躯で整った容姿を持っていたが、その表情にはいつも怒気がこもっていた。食事一つとっても、テーブルに肘をつくなといっては叩かれ、食事中に無駄口を叩くなといっては殴られた。休日は、晴れると必ず、川沿いを家族全員で散歩したが、雑談することも許されず、列を作ってただ黙々と10km以上を歩く。父なりの家族団らんの時間だったのだろうが、小学生の恵里にはひどく疲れた。それでも、家族皆で歩くと恵里は嬉しくなって、鼻歌を歌っていると、

「下手糞な歌を歌うな。味噌が腐る。」

と父に言われたりもした。母親も父親の暴言暴力による叱責の対象になっており、母親も子供も、年がら年中父親に怯える生活を送っていた。長身の父親とは対象的に背の低い母親は、怯える小猿のように家の隅で縮こまり、いつしか神経を病んでしまって、元々得意でなかった家事がさらに手につかなくなってしまった。

きょうだいは恵里を含めて3人いたが、上の2人は、父と前妻との子供で、恵里にとっては異母兄弟だった。兄と姉は恵里に優しかったが、神経症になっていた母親との関係がまずく、姉は中学生になる頃にはいわゆる不良になっていた。物静かでいつも優しかった長兄は、その分余計に抱える心労も大きかったのか、まだ20代の頃に脳出血で突然亡くなった。

小学生の頃、母親に連れられ2人だけで外出した折、商店街の店先で、「お兄ちゃん達には黙ってな」と言われて食べさせてもらったフランクフルトの味が今でも忘れられない。初めて食べたフランクフルトが、兄と姉への後ろめたさと相まって、世の中にこんなにおいしいものがあったのかと思うほどうまかった。

恵里の家は裕福ではなかったので、今思うとろくなものを食べていなかったのだろう。恵里はとかく初めて食べるものに感動した。

「俺は小学校四年生の頃から働いていた。お前らのような贅沢はしたことがない。」

そう口癖のように言う父親だったから、菓子の類は家では食べたことがほとんどなく、周りの同級生よりだいぶ遅れて食べた。ポテトチップスを初めて食べた時も感動し、「こんなにおいしいものを作ってくれてありがとう。」といった内容の手紙を製造会社に送った程だった。小学二年生からの幼い手紙を読んだ菓子会社が喜び、ポテトチップスがダンボール箱いっぱいに詰められて送られてくるかと期待して待っていたのだから、けっこう打算的な子供だったのかもしれない。

アイスクリームを初めて食べた時も感動し、貯金していたお年玉を持って、学校帰りに3日連続でスーパーに通い、炎天下の駐車場で1人こっそり食べた。

夫の両親の偏見を受けても、結局夫と結婚したのは、夫の家庭環境に同情、あるいは共感を持ったことも理由の一つかもしれなかった。夫は一人っ子で、その父親は養父だった。夫が3歳の時に、実の父は事故で死んだ。名家を存続させるためと、半ば押し付けられる形で、実父の末弟が家督を継いだ。つまり夫にとっては叔父が、母親と再婚し、養父となったのだ。叔父には当時婚約者もいたという。夫の両親の間に愛が育まれたのかは当事者にしかわからぬことだが、養父は母に一度も男として扱われたことがないと、夫が漏らしていた。

夫の養父は静かな人であった。恵里との結婚に強く反対していたのは母親の方であり、養父はただ黙っているだけだったから、母親と同じ立場なのだろうと当時の恵里は推測したが、今になってみれば、さして反対する気持ちはなかったのではないか。いつもあれは駄目だ、これは駄目だと言って否定ばかりしている夫の母親に対して、養父は驚くほど従順だった。夫も、養父には怒鳴られたことも、怒られたことすら思い出せないというから、本当に静かな人であった。夫に男らしさの欠如を感じるのは、男親に厳しく育てられなかったかもしれないと恵里は思うことすらあった。

夫との結婚に違和感を覚えたのは、結婚してすぐだった。夫が帰ってこないのだ。もちろん、夜遅くに帰ってくるにはくる。恵里の父親はほぼ毎日6時半には、遅くとも7時までにはたいてい家に帰ってきて、夕食を家族揃ってとるという生活をしていたから、毎夜11時半を過ぎて帰ってくる夫に違和感を覚えた。結婚してから初めて同居を始めたので、それまで気がつかなかったことだった。恵里は結婚してからも同じ職場で働き続けたが、夫はあの会社には可能性が無いなどと言って、付き合い初めてからしばらくして、仕事を変えていた。転職した会社では、残業や接待が多く、帰宅が遅いのもそのためだと夫は言っていたから、結婚してからもしばらくはそれを信じていた。ただ、接待だと言う割には遅くに帰ってきてからも、きちんと夕食を平らげる。

「接待で食事するでしょ?毎日遅くに食べるのは体に悪いよ。」

「接待では気を使ってろくに食事もできないんだ。お酒ばかり勧められて。」

そう聞いて、大変な職場だなと素直に納得していた。

はっきりと気がついたのは結婚2年目にサラ金からの督促状が届いたからだった。サラ金からの借金の督促状だと分かっても、別人宛の郵便物が間違えて自宅に届いたのだろうと最初は思った。債務者に夫の名前をきちんと確認してから、頭が真っ白になった。300万円以上の借金があるという。しかも利子が日に日に増え続けている。

その日も遅くに帰宅した夫に聞くと、そんな借金は身に覚えがないと言う。債務者に夫の名前があるけれど何かの間違いだったのだとすがる思いで、それでも夫を問い詰めると、自分の借金に間違いないと認めた。300万円などたいした額ではないと夫は開き直って言ったが、恵里にとっては大金だった。金額より何より、夫に裏切られたという気持ちで、自分が思い描いていた結婚と家庭の形が、がらがらと崩れていった。血の気が一斉にひいていったのを今でもよく覚えている。借金が分かった頃、恵里は妊娠7か月だったが、そのショックもあってか流産しかけたほどだった。

仕事の息抜きにパチンコをやって、負けが続いたと夫は言う。息抜きで作れる借金の額ではないと恵里は思う。仕事が終わった後、妊娠中の妻を放って、毎晩パチンコに通っていたらしい。パチンコ店の閉店が夜11時で、そのため毎晩帰宅が11時半を過ぎていたのだ。

結婚したばかりで貯金などほとんどなかったし、子供の出産に際し、迷った挙句、恵里は仕事を辞めていたこともあって、その借金の大部分は夫の両親に肩代わりしてもらった。今考えれば、それも間違いだった。苦労してでも、きちんと自分達だけで借金を返していくべきだった。夫の両親に返済を頼ったことによって、借金を作ってもなんとかなると夫に思わせてしまった。

「本当に申し訳ない。もう1度だけ僕を信じてほしい。チャンスをください」などと言って、その後しばらくは反省している様子を見せていたが、2週間もすると、またパチンコ通いが始まったようだった。遅くに帰宅した夫に、泣いてやめてほしいと訴えると、

「今日はほんとに残業だよ。それに、パチンコなどみんなやってる。たかが娯楽に大げさ過ぎるよ。息抜きでやることがあるかもしれないけど、ちゃんと自制してやるから大丈夫。」

借金したことすら悪びれていない口ぶりだった。むしろパチンコ通いが明るみに出たことで、今度は休日にも何かしら理由をつけて出かけていき、夜遅くまで帰ってこなくなった。パチンコに行っていることは明らかだったが、夫は実家の手伝いをしていた等と嘘をつく。夫は出産日にすら、恵里を病院に置いて、そわそわと出掛けていった。

子供が生まれれば、父親の自覚が生まれ、夫も変わるのではないかと期待していたが、何も変わらなかった。線路沿いの小さな箱のようなアパートで、いつも生まれたばかりの子供と二人で夫を待った。夫と二人で始めたはずのママごとはいつしか一人ぼっちのママごとになっていた。出会った頃の、職場で雑用を率先してやる夫が嘘のように、家事にも子育てにも全く非協力的だった。いや、あの頃の夫が嘘の塊だったのだと今になれば思う。

息子はかわいかった。一歳になる頃には言葉を話し始め、多くの親がそうであるように、自分の子供は特別に頭が良いのではないかと思った。一歳半の頃に、夜、息子を寝かしつけながら、相変わらず遅くまで帰らぬ夫を待ちながら、

「パパはなにやってるかなあ」

と息子に話しかけるでもなく、独り言を言うでもなく呟くと、

「パパは かえってくるよ」

と舌足らずな口調で言う息子の言葉を聞いて、思わず笑い、やがて涙が出た。恵里が「パパはもうすぐ帰ってくるよ」と毎晩のように、息子に、自分に言い聞かせていた言葉を、息子は覚えてしまっていたのだ。息子と2人だけの時間が、いつか、息子を育てることが恵里の心の拠り所に変わっていた。

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