【M男の欲望】第3話「郁男の禁欲7日目」

愛の小説

7日目
普段は一週間に少なくとも3、4回、興が乗ると週に10回位自慰を行うこともあったから、7日目ともなると射精欲がかなり高まっていた。特に一昨日、昨日は土日で仕事も休みなので、特段やることもなく、インターネットに接続するとついエロ動画を検索したくなった。しかし、虚無感と自己嫌悪に苛まれ、月曜に無気力な状態で出社する自分を想像し、パソコンの前で頭を振って気持ちを切り替えた。

週に3、4回の射精ペースは30歳過ぎの同年代の男と比べて、それほど多い方ではないだろう。そんな自分が7日目にして、自慰をしたくてたまらなくなるのだから、インターネット掲示板上で禁欲を宣言しては数日でそれを反故にしている者が多いのも納得できる。

郁男が自慰を覚えたのは比較的早かった。小学校2年生の時には、休日の朝などに、少年漫画の性的描写があるコマを見ながら、布団に固くなった陰茎を押し付けていた。精子がまだ作られていなかったのか、射精はしないものの、絶頂に達する感覚はあり、脳内では精通後と同様のことが起こっていたように思う。絶頂の快感は、小学校低学年の子供にとっても同様で、その後に来る、泣きたくなるような罪悪感をもってしても、その密かな習慣を止めることができなかった。あの頃に感じた自慰後の罪悪感はなんだったのか。その罪悪感は神聖な感覚で、その行為はやるべきではないと、神様が己に語り掛けているとすら思えた。布団に擦り付けた自慰の後は、体液など何も出ていなくても、自分の体が汚れたように思えて、石鹸で7回も繰り返し手を洗った。

今になって考えても、あの罪悪感の理由は分からない。自慰が本来やるべきものではないから、罪悪感を感じたのかもしれぬし、ひょっとすると、幼い頃に自慰を覚えてしまうことで性器や身体の発達に影響を及ぼすことを防ぐための防衛機能としての罪悪感であったのかもしれない。実際、子供の頃に感じた罪悪感は年を重ねるといつしか消えてなくなっていた。残ったのはまたやってしまったという自己嫌悪と虚無感だけだった。

変化したのは罪悪感だけではなく、当然自慰の方法も、年齢を重ねるごとに変わっていった。小学生低学年のうちは、他愛のない少年漫画の性的な1コマや、年上の大人の女性を想像して布団に陰部を擦り付けるだけで、十分興奮していたのが、小学生も高学年となると、同じ漫画でも性的要素が多い漫画を好んで使うようになった。また、テレビ番組等で女性の胸が露わになることがあれば、脳内にそれをしっかり記憶し、布団擦り付けの際にそれを再生するよう試みた。

中学生になって、自分の行為が同級生達の言う「オナニー」と呼ばれるものだと知った時は愕然とした。自分がそんな下劣な行為をはるか以前幼少の頃から行ってきたことがショックだった。また、同級生が話すところの、手を用いての一般的な手淫方法ではなく、布団に下を向いたままの陰茎を押し付けるというやり方をしていたことも郁男を不安にさせた。その自慰方法を成長期に長く続けてきたためか、自分の陰茎は固くなっても下を向いたまま、公園の水道蛇口のようにお辞儀をしている。いつか中学校からの帰り道、同級生の男子が皆に見せびらかした勃起状態の陰茎と自分の陰茎では全くその様相が異なっていた。

精通があったのは、つまり初めて精液が出たのは、周囲と比べて遅く、中学2年生の時だった。液体が出てきたことに多少の新鮮さはあったものの、もう既に何百回と絶頂を経験していたため、周囲が言う精通時の感動の快感というものはまるでなかった。中学生になっても相変わらず漫画は使用していたが、深夜のテレビ番組や青年向け雑誌のグラビアも、その用途に供するようになった。ませた同級生が見ているようないわゆるエロ本にはなかなか進まなかった。

自慰方法に転機があったのは、大学生の時だった。インターネットの普及とともに、エロ動画が簡単に手に入るようになったことが理由だった。それまでは、レンタルビデオ屋でアダルトビデオを長時間物色し、厳選したものを数本借りるのが普通だった。簡単に絶頂に達すことは可能だったが、それでは勿体ないと思う。借りてきたビデオをくまなく流し見て、一番興奮できるポイントを探す。その作業だけで何時間もかかったが、ビデオ数本という物理的限界があった。時間をかけて厳選しても、実際見てみると全て好みに合わないということもあった。すぐに返却しに行き、また新しいものを借りるということもできなくはなかったが、にしても経済的理由などから、最初の3本で妥協するのが常だった。

その妥協をなくさせたのが、インターネットの出現だった。インターネットの急速な普及により、様々なエロ動画サイトが立ち上がっていた。当初、その多くは、ビデオから切り出した数分程度の動画が見られるというものだったが、それでも郁男にとっては革新的な出来事だった。当時、自分のコンピュータは持っていなかったので、深夜や休日などの大学研究室に長時間誰もいない時を見計らって、共用コンピュータを使用して自慰に耽った。嗜好に合う興奮する動画が見つかるまで、際限なく電脳世界を徘徊するので、自然と自慰時間は伸びていき、その頃には一射精に6時間位かけるようになっていた。郁男は遅漏ではない。むしろかなりの早漏で、勃起して30秒もあれば絶頂に達すことが可能だった。しかし、早漏であるがゆえにも、簡単に達するのが惜しく、自慰時間が長くなった。

インターネットの普及革新とともに、郁男の自慰時間は更に長くなっていった。親と同居している頃は、長時間の自慰を心安らかに楽しむチャンスがなく、集中したい時には漫画喫茶の長時間滞在コースを使って自慰に耽った。一人暮らしを始めてからは、自慰時間にも方法にも再度変革が訪れた。月曜から金曜まで精子を貯め、週末に何度も放出をする。金曜日など仕事中から、毎分その晩に行う自慰のことを考えていた。今日はどんな自慰をしようか。どんな動画を探そうか。どんな検索をかければ効率的に目的の動画を探せるか。自慰を始める前には、時間の無駄だから数時間で終わりにしようと考えていても、インターネットを徘徊し始めると、他のことが一切考えられなくなり、毎回徹夜をしている。徹夜は体に悪いからと、午前中に始めても、気づくと夜中になっていることが常だった。長時間の寸止めを繰り返し、最後の放出の瞬間は、頭が真っ白になり、体中に電流が走るような感覚だった。交尾して力尽きる鮭のごとく口は開き、声が漏れ、精液が飛び散った。

自慰の長時間化とあわせて、どのように快感を高めるかにも関心が高まっていった。「M性感」「巨乳寸止め手コキ」「前立腺責め」「赤ちゃんプレイ」「顔面騎乗」等といった郁男の嗜好に合った動画の検索技術を高めたのはもちろんのこと、ダウンロードした動画を編集したり、音声や大音量の音楽を加えたりした。音声による催眠自慰なるものや、ヴァーチャルリアリティなどの新技術も積極的に取り入れた。ネット徘徊中、動画編集中は文字通り寝食を忘れて夢中になった。自分にこれほどの集中力があったのかと驚くほどに、意識は高揚し覚醒した。検索や編集中は、射精時の快感とはまた別の、至福の時だった。何時間もの寸止めの後に、いよいよ射精となっては、数秒間のお気に入りシーンを無限にリピート再生させたり、ビートを刻む重低音や好きな言葉を無限に浴びたりすることで、脳を一種の錯乱状態にさせ、物凄い興奮を得た。

精液の量が増えれば増えるほど快感が高まると聞いて、平日に精子が大量に作られるよう、亜鉛やマカ等の良質のサプリメントを海外からネット購入して摂取したりもした。自慰技術よりも結局、人間の興奮、快感のためには、しっかりとした食事による栄養摂取、規則正しい睡眠、適度な運動が必要という、至極正論な意見に感心し、食事、睡眠、運動に気をつけてみたりもした。しかし、自慰により生活習慣が乱れることもあって、健康的な取り組みより、直接的な刺激を求める方向に走りがちだった。前立腺や射精管を刺激すべく、肛門にものを突っ込んだり、射精時に睾丸を握り潰したり、足の付け根を氷で冷やしたりした。

良くなかったのは、外部からの直接刺激に満足せず、市販薬やアルコールを使っての快感増大を模索し始めたことだ。自慰の快感は興奮度の高さに大きく依っており、郁男の自慰の興奮度はかなりの部分をその編集動画による視覚・聴覚に頼っている。インターネット上の動画は無限に増え続けているものの、嗜好にぴったり合致するものを探し出すことは容易ではない。郁男はすでに10年近く、好みの動画を探してネット上を徘徊しており、かなりの量の動画を既に見ていたので、新たに好みの動画を見つけるのは日に日に難しくなっていた。好みの動画さえ見つければ、あとは音楽や音声とともに、それを加工・編集し、最高の興奮材料とすることができたが、嗜好に合った動画を探し当てるのが難しかった。そこで、安易に興奮を高める方法として、使ったのがアルコールであり、カフェインであり、鼻炎薬・咳止薬を始めとする市販薬であった。精液を貯め、体調を整えた上で、それらを使うと興奮は驚くほど高まった。酒の効果は言わずもがなで、一時期ハマったが、頭をぼんやりとさせてしまうので、飲酒からは遠のいた。酒の経口摂取からは遠のいたものの、陰茎をコップに注いだアルコールに直接ディップする方法は、吸収率が良く、脳を鈍感にする作用も少なく感じ、しばしば用いた。

アルコールよりも、カフェイン錠剤や、エナジードリンク、コーヒー等で、カフェインを大量に摂取することで、頭が覚醒し、徹夜の自慰で長時間興奮していられる方を好んだ。鼻炎薬を飲んだ後に行った際の、自慰の高い快感に気がついて、鼻炎薬も使用するようになった。調べると、鼻炎薬中には覚醒剤の原料となるエフェドリン系の成分が含まれている。鼻炎薬から始まって、いろいろな市販薬を試し使うようになった。最初は、薬を自慰目的で使用することに抵抗があった。初めは体を気遣って、鼻炎薬や咳止薬のような市販薬でも、容量を守ったが、自慰を始めると興奮状態になり、何度目かには、決められた容量を大幅に超えて服用するようになり、やがては座薬のように肛門に錠剤を突っ込み、吸収率の良い直腸摂取の方法をとるようにさえなった。

薬を使う前から、仕事の前日に徹夜で自慰をしてしまったり、友人の結婚式二次会に行く予定を自慰で忘れてしまったり、自慰をやり出すと寝食含めて一切他のことが手につかなくなり、長時間に及んでしまうことがあった。自分は性依存症と呼ばれる状態なのではないかと思い、ネットで性依存症の症状なるものを調べると、自分に当てはまるものが多かったが、まさか自分がそんなはずはないと否定していた。

自分は性依存症だと自覚したのは、数ヶ月前に薬を使った時だった。その週は、仕事でネズミに責められたことで、ストレスを感じていた。週末は、長時間の自慰をやろうとかなり前から決めていた。金曜には早めに仕事を切り上げ、帰りにカフェイン錠、エナジードリンク、コーヒー、ウイスキー、鼻炎薬、咳止薬を買い込み、自宅に帰るとすぐ自慰に取りかかった。カフェインを大量に摂取したためか、同様に大量摂取した鼻炎薬、咳止薬のせいか、ひどく興奮した。気持ちの高揚が止まらず、普段なら全く興奮せぬ醜女の動画までが輝いて見え、手当たり次第コンピュータに保存した。動画のダウンロード中や編集中に、興奮が抑えられず立ち上がり、暖房を効かせた部屋の中で陰茎を振り回して歩き、最高だと何度か声に出して言ったりした。途中、買っておいたエナジードリンク五本が既になくなっているのに気が付いて、夜中2時半に部屋を飛び出し、すぐ近くのコンビニまでほとんど全力で駆けて買いに行った。外気が火照った体に気持ち良く刺さり、冷水の中を泳ぎ走る。目は甘く垂れ、半開きになった口端から涎が出た。闇の中で自分の大きな笑い声だけが響いていた。その後さらに投入した鼻炎薬のせいか、陰茎は途中何度も萎んだが、触っているだけでヘブンを感じる。朝6時頃、寸止めに寸止めを重ねて睾丸が痛くなるほど溜まった精液を、床に敷いたゴミ袋に大量に放出させた。繰り返される映像と音声に脳は錯乱し、陰茎は破れるほどに拡張していた。こめかみ、首、心臓、陰茎、鼠径部、それぞれの動脈が激しく鳴っている。射精管をぞわぞわと精液がせりあがる。意識的に声を出し、睾丸と前立腺を圧し潰した。十数秒の絶頂時間に頭をぶるぶると震わせて、快感物質を受容体に余すところなく受け取った後は、いつものごとく虚無の時間が訪れた。つい先ほどまで、興奮を最大化させていた貴重な映像や音が、突如鬱陶しいものに変わり、郁男の大腿やそこかしこに飛び散る精液は汚物に見えた。自慰中に抜けた陰毛に、精液が絡みつき床に落ちているのを、どくどくと脈打つ心臓と陰茎の振動を感じながら、しばらく口を開いたまま呆けたように眺めていた。

体の異変に気がついたのは、片づけを終え、ベッドに横になった後だった。頭がいやに冴え、脈がやけに速く、息苦しい。徹夜で疲れているはずなのに、一向に眠くならない。眠くなるどころか、脈は速いままで、頭痛もしてきた。気を紛らわそうと、携帯で開いたインターネットで、その日の興奮を振り返る。あれほど強い興奮を得られたのは薬の組合せや摂取方法が良かったのかと、摂取した薬などの検索をしていたところ、カフェインの多量摂取の危険性についての記載に目が留まる。市販カフェインの危険性などたいしたことがあるまいと思っていたが、致死量なる言葉が目に入り、心臓が音を立てて鳴った。知らずに危険量を摂取していたらしい。目は冴えているのに、詳細な情報はうまく理解できず、死という言葉だけがさらに動悸を高め、息苦しくした。すぐに水を飲んで、排尿や嘔吐をすべきと、ベッドから起き上がろうとして、頭がぐらんと揺れた。便所に向かって立ち上がり歩き出したものの、脚にまったく力が入らず、すぐに倒れるように座りこんだ。手足が痺れ、やがて痙攣が始まった。便所で嘔吐したが、脈は速いままで、うまく呼吸ができぬ。薬のせいか、死への怖れからか、身体の震えが止まらず、救急車を呼んだ。早朝の住宅街の中を、徐々に近づいてくる救急車のサイレンが頭に響く。自分がこれほど死を怖れるとは思っていなかった。

病院に救急搬送されたのち、胃洗浄、下剤投与、血液透析などのカフェインや薬物の除去処置を受けたが、その後もしばらく薬によるものか、恐怖によるものか、パニック状態が続いた。病床で意識が遠のいていく感覚が、眠気によるものなのか、死への過程なのか、判別がつかず、意識を失いかけては慌てて強引に覚醒させた。半日位経って徐々に気持ちも落ち着きを取り戻した。病院の天井を見つめ、自分は死に対してなんの覚悟もできていないと気づくともに、自分の自慰が病的な域に達していることを初めてはっきり自覚した。

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