【M男の欲望】第12話「恵里の禁欲7年目」

愛の小説

7年目

 離婚して7年、再婚して3年。自分は野良猫だと思う。子供の頃から居場所がなかった。結婚して、やっと居場所ができたと思ったが、居場所だと思ったのは、一人ぼっちで作った砂の家だった。60歳近い年齢で、再婚できたのは幸運としか言いようがない。再婚相手は穏やかで、頼りになり、恵里のことを、家庭を大切にする人だった。普通の幸せな結婚生活とはこういうものなのかと初めて知る思いだった。それでも、そこは自分の居場所ではなかった。高齢での再婚に、互いの人格を、これまでの人生を、溶かすほどの情熱はなかった。再婚相手には、亡くした妻への愛が後ろに見えたし、恵里にも別れた夫の影が落ちていた。亡くした妻への嫉妬などではなかった。互いの寂しさを慰め合い、年老いていく自分達を支え合おうという契約。それを否定するつもりはない。恵里としても、年老いていく自分を、息子の経済的、精神的負担にしたくなかった。この再婚に、意識的ではないにせよ、そういう幾分打算的なものが含まれていることが哀しかった。亡くした妻と築いた家に転がり込む、居場所を持たぬ野良猫、泥棒猫。

 最後に前夫を見たのは3年前に再婚を決めた直後だった。自分が再婚することをどう知ったのか、かつて自分の人生を、人格を賭して愛そうと思った男が現れた。

 恵里はその頃まだ2Kの安アパートの一階に息子と住んでいた。ドアのベルが鳴り、ドアの覗き窓に目をあてるとあの男が立っているのが見えた。元々は白かったであろう、よれよれのTシャツを着た、狭い肩幅に腹だけが出た短足男。内臓疾患でもあるのか、酒でも飲んでいるのか、顔が以前に増して赤黒い。四年ぶりに見る前夫は、醜かった。住所など知らせていないのに、なぜここが分かったのか。

「いるんだろ。出てきてくれ。話しがしたい。」

餓鬼が大声で叫ぶ。応えずにいると、ドアを何度も思い切り叩いた。息子は外出しており、一人でいたこともあって、恐怖を感じた。

「再婚するって、ほんとなのか。なんでだ。俺たちはどうなるんだ。」

離婚して4年も経つのに、どうにかなるとでも思っているのか。部屋で息を潜めていると、部屋のベランダ側に男は回る。ベランダの周りをうろうろと歩き、部屋の中を覗こうとする男がカーテン越しに見えた。なぜか手には鎌が握られている。自分を殺しにでもきたのか。しばらくすると、男はその鎌で、窓の外側を覆う、ゴーヤで作った蔦のカーテンをずたずたに切り裂いたのだった。それは、夏の日差し除けにと再婚予定の相手が作ってくれたものだった。地獄の底まで私を追ってきて、不幸にするつもりだろうか、そう思ったが、前夫の姿を見たのはそれが最後だった。

 あの男のどこに惹かれたのか。なぜあの男のために人生を犠牲にしてきたのか。いや、犠牲などではない。今考えれば、あの人は私に依存していて、私もあの人に依存していたのだと思う。私がいなければあの人は駄目なんだと思うことで、私は自分の存在価値を、居場所を探していた。そうやって、私はあの人を駄目にすることをずっと手伝ってきた。どれもこれも私が望んだことなのだ。

 難しいことは分からないが、経験として分かる。望んだことが必ず起きる。逆に言えば、起きたことは、必ず自分が望んだことなのだ。それが意識的にせよ、無意識にせよ、強く思っていることが必ず起こる。今の私もその結果なのだ。思考は現実に作用する。見えない電波が情報を運び、目に見える形で映像や音となって現れるのと同じことだ。思考も物質と同じものなのだ。いやむしろその逆で、確かに在るように見える物質の方こそ、思考のようなものなのだ。物質も思考も突き詰めれば同じもの、エネルギーのようなものなのではないか。形などないのだと思う。昔学校で習ったように、激しく運動する物質が周囲と反応するのと同じで、強い思いは周りに作用し、現実を変えるのだ。私の今は、私が望んで作ったものなのだ。

 これも私が望んだのだろうか。その日、朝早く目が覚めた。60歳を過ぎて、朝の目覚めが早くなってきている気はしていたが、その日はいつもよりさらに早く目が覚めた。時計を見るとまだ4時半過ぎだった。外は既に明るくなり始めているが、もう少し寝ようと思って、ベッドにしばらく横になっていたが、一向に眠れない。仕方がないと、起床することにした。隣で寝る夫を起こさぬよう、そろそろと部屋を出て、洗面所に入る。冷水で洗面し、頭を上げた瞬間、後頭部を鈍器のようなもので思い切り殴られた。頭に受けた衝撃のために、前のめりに倒れこんだ。顔面を洗面台に打ちつけ、そのまま床に崩れ落ちた。私を殺そうと家に侵入し、どこかに隠れていたのか。なぜ今なのか。こんな時間に、一体どこに隠れていたのか。朦朧とする頭で、後ろを確認しようと思うが、自分の頭が、目が、意思通り動いたかどうか。男の姿は見えなかった。視界がぐらぐらと揺れていた。助からないと直感し、助けを求めて叫ぶより、救急車や警察に電話を掛けるより、息子の声が聞きたかった。手元にあった携帯電話を操作するが、手が思うように動かない。息子に電話がかけられたのか、耳元で呼び出し音が鳴り続けていたが、突然ぷつんと切れた。やがて、周囲から光がなくなり、音も消えた。

 これまで感じたことのない感覚だった。味わったことのない高揚感、充足感、幸福感に包まれた。はじめて一つになれたと感じた時の感覚を極限まで高めたような感覚だった。あの時も、そして今も、この人に自分の人生をあげようと思ったのだ。こういう最期がいいのかもしれない。愛に溢れた感覚だった。自分の居場所はやっぱりここなのだ。帰るべき場所に帰ってきた。商店街でフランクフルトを買ってくれたお母さんも、休日に川沿いを行軍したお父さんも、亡くなる直前に自分に会いたいと言っていたという義父も、みんなそこにいた。春の太陽に包まれるような、暖かな光の中に、恵里はゆっくり入っていった。

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