乳首を触ると宇宙と孤独を感じた少年時代(共感する人いませんか)

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同じ感覚があった人はいないだろうか。俺は、特に性的に目覚める前、またはその後の思春期、乳首を触ると、宇宙に漂う人間の永遠の孤独みたいなものを感じて、泣きそうな気持ちにいつもなった。性的な感情は想起されなかった。生命の不思議というか、人間の孤独というか、いつかは肉親とも離れ死んでいくこの命というか、そんな感情を乳首を触ると感じて、夜の寝る前に泣きそうになった。

宇宙という真っ暗な空間に、一人頼りなく小舟に乗って、大海に漂っている自分。

性の目覚め前後の小学生の頃、その感情が最も強かった。中学生の頃だったか、乳首が性感帯の一つだと聞いて意外に思った。中学生で初めて精通したあとも、乳首は俺にとって単なる性感帯ではなかった。宇宙を、この世界を、孤独を、命を感じさせる不思議な器官であり続けた。

いつしか乳首が性を感じさせる器官になっていった。その性感覚が強まるにしたがって、上の感覚がなりを潜めていった。

俺は大人になった。今、乳首を触って見る。そんな気持ちはほぼ皆無になった。だが、奥底にそれを感じる時が稀にある。

性は、命だから。性は、宇宙との、この世界との、自分のつながりを持たせるものだから。だから、幼き頃の俺に、乳首が人間の孤独と悲しさを命を感じさせるものだったと俺は思っている。

そしてそれは、幼い頃のオナニーの後に罪悪感を感じたあの感覚に通じるものだと、俺は思っている。

オナニーの罪悪感から考察するオナ禁すべき理由および生き方の指針
自慰を始めた頃に感じた罪悪感は、自慰をやめるべきと訴える心の声だった。欲望や嗜好は基本的に従うべき指針であるが、時に人を間違った方向に導く。オナ禁も、人生の重要な選択も迷った時には、体ではなく心を満たす、心の声に耳を傾けるべき。そしてオナ禁は心の声を聞く強力な助けとなる。

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