みんな批判したり教えたりするのが大好きだ

生き方

みんな他の人を批判したり、ものを教えたりするのが大好きだ。リアルでももちろん、しかし、それはインターネットやテレビだととみに見られる。

もちろん愛を持った批判や指導はある。それは良いものだ。リアルでもネットでもある。愛を持った批判や教えは、相手のためになるものだ。しかし、ここで問題なのは相手のためによかれと思って行えば良いというものではない。本当に相手のためにならなければならない。

往々にして批判や教えは、相手のためによかれと思ってとか、社会のためによかれと思って、などの大義名分のもとに、実際は単なるその人のストレス発散とか自己満足とか快のために行われる。

特にネットとかテレビの有名人に向けられる批判や道を説く人達は、単なる自己満足、マウンティングの場合が多いと感じる。よく言われるが、批判や教える行為は、相対的に自分の優位性を高め、自己の優位性、正当性を確認できる作業となるからだ。

ネットやテレビなどの非リアル空間では、自分を非難に晒す危険性なく、自分のしょぼさを隠したまま、他者の批判や他者への指導を通したマウンティングをお手軽にできるからだ。というのは皆んな言ってる。

こんな場末トピックのオナ禁界隈でも、オナ禁マスター然として、健康やモテのマスター然として、オナ禁のなんたるか、モテのなんたるかを説く素性の分からぬ人がいかに多いか。断定的にものを語り、こうすべきだとか、あれは駄目だか自信満々に語る。リアルで会ってみれば、きっと驚くほどしょぼい奴ということも多いだろう。

そういう批判や指導的なことを語る人やサイトが、けっこう支持を集めるのは、俺たちが馬鹿だからだ。

断定的に、自信ありげにものを語る、批判する人間に対して、俺たちはいとも簡単に騙される。その人がきっと正しいに違いない、強者に違いないと思いこむ性質を人間は持っていると思うのだ。

強く主張する人、傲慢な人には尻尾を振りなびき、主張の弱い人、謙虚な人には逆に強く出るのが、俺たちだ。意識的にも無意識的にも、俺たちは生物としてそう行動してる。

批判をするなと言いたいわけではない、人にものを教えるなと言いたいわけではない。人を批判したり、ものを教えるとき、自分のその行動が自己満足のためのものになってないか考えるべきだと思うのです。

などと、批判する他者を批判し、断定的にものを語るこの俺も、きっとこの行動によって自己満足、自己肯定しているのである。

コメント

  1. 素敵な夜 より:

    その通りですね。
    鋭い洞察力です。
    すごい共感できるのに、なぜ自分も知らず知らずのうちに人を非難してしまっているのか。
    オナニーと同じで我慢できないものですね。
    お酒とか飲むと顕著に現れます。
    弱い人間です。

    • 佐崎慎治 S野M男 こと 佐崎慎治 より:

      お褒めの言葉ありがとうございます。たいした洞察力ではありませんが。
      あからさまな悪口ではなくても、ふと気付くと他人の批判などが口をついていることありますよね。その瞬間は楽しかったり、気持ち良く思えても、後味が悪いというか、良い感情が残らないんですよね。素敵な夜さんのおっしゃるとおり、オナニーに似てるかもですね。
      今夜が我々にとって、オナニーなしの素敵な夜になりますように。