セックスよりオナニーがしたい俺の人間関係考察 オナ禁7日目

生き方

長瀬智也が俺はオリコカードが大好きだと言うように、俺も言いたい。

俺は、俺は、オナニーが大好きだ。

今日はまだオナ禁7日目であるが、7日目という短期間だからこそ、オナニーがしたくてたまらない。多くのオナ禁者が言うように、オナ禁は初期の頃の方が辛い。私の場合は2〜3週目あたりが一番オナニーがしたくて堪らぬことになる。

相手のいるセックスよりもオナニーの方がワクワクしてしまうなど、本当のセックスの良さを知らないなどと言う人もあるだろう。または、それは俺がオナニー依存、ポルノ依存となっている証左やもしれない。

オナニストの間でしばしば語られることであるが、セックスは相手がいるがために、オナニーのように自分の興奮や快感を高めることだけに集中できない。言い換えれば、その是非は別にして、自分本位のプレイができていないということかもしれない。

自分の性的嗜好やフェチなどがぴったり合った相手とのセックスなどしたことがあれば、オナニーよりもセックスが好きになるのかもしれない。

自分の嗜好に正直なセックスができていないということは、相手に自分をさらけ出せていないということかもしれない。相手のことを気遣って自己中なセックスをしていないんだ、自分の性的嗜好を抑えているんだと言う人もいるかもしれない。

だけど、それは俺は言い訳だと思う。相手にどう思われるか気にして、自分に正直になれない。好きなことを言えない、できない。アドラー心理学について書いた「嫌われる勇気」でもそれはダメだと言っていた。

いい女いい男気取りのバカ野郎がしばしば言うが、セックスは究極の人間関係だ。自分の嗜好に正直になれない、ならないことは、一見相手のことを気遣っているようで、実は自分のことばかり気にしている自己中心的な奴だ。セックスよりオナニーが好きな俺のことだ。

自分が相手に嫌われないか、どう見られているかばかり気にしている。そんなんじゃセックス相手にも失礼極まりないし、良いセックスもできない。とオナニーばかりしている俺が知ったように言う。

本当の利他性、他者への愛というのは、利己性、自己への愛を追求していった先にある。というのはアドラーも、石原慎太郎も言っている。

自分の嗜好に正直になれない。嫌われるのがこわくて相手の嗜好と思われるセックスに合わせようとしている奴は、自分に自信がなく、自分のことを愛せていない奴だ。相手を気遣うふりをして、自分のことを気遣っている。

自分を愛せなければ、他者も、セックス相手も愛せない。不満足なセックスをしてオナニーで性的欲求を満たす。そんなことでは、相手も自分も不幸にする。

セックスよりオナニーの方が好きな俺のような奴は、適切な人間関係を築けていない可能性を考えた方がいい。自分を愛し、だから他者を愛せて、世界を愛することができる。世界と一体感を持てる。

オナニーの方が好きな奴は、自分を愛せず、自分に自信が持てず、他者を愛せず、他者を信じられず、世界を信じられない。世界が敵意に溢れて感じられる。世界から孤立して感じる。

オナニーは、他者との、世界との断絶である。

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