人間の寿命が8年だったら、どう生きるか

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人間の寿命が8年くらいだったら、俺たちはどう生きるか。今年の過ごし方と、全く変わらず過ごすと思うと言える人は少ないのではないか。8年くらいだったら、一人ひとりの生き方が変わり、そのためこの世界も大きく変わる。当たり前の話だが。

日本人の平均寿命は80年くらいと思ったので、8年くらいとした。

最初の1年でこの世界でいう10歳位まで一気に成長する。次の2年目がteennager。3年目が20代。4年目は30代。5年目は40代。7年目位で死んでいく人が多い。10年目位まで長生きする人も、早死にする人もいる。

もしそんな一生だったら、3年目4年目5年目6年目などを今の現実世界で働いているように働くか。同じ仕事をして、同じ時間を労働に当てるか。ここでYESと言える人は、この現実世界でも充実した人生を、後悔しない人生を送っている人だろう。

そんな世界だったら、もっと好きなことをして、好きな場所に済み、将来に備えることなどせず生きるという人が多いのではないか。もっと本音を言い、対立をおそれず自分を主張し、自分の願望を追う。良くも悪くも利己的になる。将来のためではなく今この瞬間を生きる。蝉が鳴くように声高に、必死にセックス相手を探すのではないか、生きるのではないか。だからといって、俺はその世界全体が殺伐とした修羅の世界となるとは思わない。利己性を追求した上で、他者も思いやれる、かえって良い世界になる可能性だってある。

でも、なんで現実世界の俺たちの多くが今この瞬間を生きていないのか。与えられた時間がたっぷりあると思っている体。与えられた全体時間を俺たちがうまく認識できない体。まだまだ続くから今はまあいいかと思っている体。後でやればいいやと思ってる体。それは脳や体の時間認識に負うところは大きい。が、それは俺たちの意思の、選択の話でもある。

実際はどうだ。”80年なら一瞬の夢さ。やりたくねえことやってるヒマはねえ”。てブルーハーツも歌ってる。宇宙から見たら、80年も8年も大差ない。

毎日を全力で生ききっている人はいる。例えば、孫正義なんて若い頃から人生計画立てて毎日全力行動しているように見える。意思の強さや選択の問題もあるだろうが、要因として時間認識能力もあると思う。空間把握能力や言語論理的能力などと同様、時間把握能力もあると思う。時間認識能力優れた人は、人生の全体時間を大多数より的確に認識できる。そのため残された時間に対する危機感も強ければ、死に対する自覚も強いのではないか。堀江貴文氏は幼少時から死が怖くて仕方なかったという。

同じ音楽を聴いても感動できる人とそうでない人がいるように、数式を見ても理解できる人とできない人がいるように、方向感覚に優れた人と方向オンチな人がいるように、時間認識に優れた人とそうでない人がいる。俺たちが本当に同じ色を見ているかわからないように、俺たちが同じ時間感覚を共有しているかなんて分からない。

俺たちの時間認識がなぜ今のような感覚となっているかは、別の興味深い論点だ。寿命が異なる象でもネズミでも一生を生きた後に感じる時間感覚は同じくらいなのではないかとは、ベストセラーになった『ゾウの時間 ネズミの時間」で言っていた話だったと思う。時間感覚が体内活動に依っているとすれば、寿命が8年位だったら、体内活動もそれだけ早まるので、結局今と同じ80年位の寿命時間と同じように時間を感じるということかもしれない。そうすると結局俺たちの生き方も変わらないということかもしれない。そう考えると、俺たち生物の時間感覚は巧妙にデザインされているとさえ思えてくる。

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