恋してるならオナニーくらいやめろ グレートギャッツビー

生き方

人を好きになるということ。

この女(男)と自分の遺伝情報を組み合わせて子孫を残したいと、脳が体が訴えている。

セックスがしたいと訴えている。セックスだけではない?

確かにsexだけではないだろう。この相手と暮らしていきたい。生活をともにしていきたい。そんな感情込みで人を好きになることもあるだろう。女にとっては特に。産んだ子供を育てねばならない。

だが、好きという感情の、やはりつまるところは、動物として、生物として、その相手のカラダが、遺伝情報が、存在が欲しいということだ。その存在が持つ生物としてのエネルギーに、魂に惹かれているということだ。

相手がほしいと焦がれる思い。胸が締め付けられる思い。肉欲と重複こそすれ、別の純粋なる思い。

オナニーすら我慢できずに、人を好きになったなど、ちゃんちゃらおかしいと極論する。

特に男の場合、同時期に複数の女とセックスできる、セックスしたい生き物である。愛と肉欲の間を生きる悲しき生き物。同時にいろんな女を好きになることが可能だ。だがだ。とは言っても、誰しも、雷に打たれるような、身を焦がす感情を経験することがあるのではないか。その相手だけがほしい。その相手がいれば他に何もいらぬ。そんな感情を。

その感情の持続期間がどれだけか俺は知らぬ。人によっては1週間かもしれぬし、何年も続くものかもしれん。個人差はある。だが、その熱烈な好きだという感情がある時にすら、オナニーが我慢できない、他の女とのセックスが我慢できないというのは、それはもうすでに身を焦がす「好き」ではない。

誰かが好きだという時、それがどんなに短い期間であれ、他に何もいらぬというほど、その相手のことだけが、気が狂うほどの欲しくなるということである。

同時に他の女とセックスがしたいという時点で、そいつの「好き」などあてにならん。いわんやオナニーをや。

誰かが好きだというなら、オナニーくらい我慢しろ。オナニーくらい我慢できずに人を好きなどととは到底言えない。己の好きという熱情を相手にぶつけたければ、オナニーやセックスくらい我慢して、そのほとばしる精液をほとばしる感情に変えて、相手に誠心誠意ぶっかけるものだ。それが本当のぶっかけだ。

逆説的に言えば、狂気の熱情を持って人を好きになりたければ、何事かに夢中になりたければ、オナニーなどしないことだ。

小説、グレート・ギャッツビー。好きな女を振り向かせるために人生を賭ける男。その悲劇的な熱情に、人は美しさを見る。デイジーに焦がれるギャッツビーはオナニーしない(はずだ)、他の女ともセックスしない(はずだ)。グレートギャッツビーを愛し、絶賛し、翻訳した村上春樹もオナニーしない(はずだ)。

ああ、熱情が溢れてくる。拳を握って、己が手をみれば、腕の周りに気が漲っている。ガッチガチだぜ。

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