どうせ死ぬから、大抵のことは大したことがない

生き方

これも自分に向けても書く。

なげやりな意味ではない。死ぬんだから、深刻に考えなくていい、悩まなくていい、好きなようにやったらいいという話だ。

その時その時で、人間は重要と思われることを抱えている。仕事しかり、家族の課題しかり、勉強しかり。しかし、後から思い出して見れば、とくに死んでみれば、どれもこれも取るに足らないことばかりかもしれない。

死んだら、と考えなくても、環境が変われば色んなことが取るに足らないことになるのは、多くの人が経験しているだろう。大問題に思えた学生時代のことや、会社でのことなど、卒業してみたら、会社を変えたら、大したことでなくなる。

自分勝手に生きたらいいという話でもない。誠実に、でもやりたいようにやったらいいということだ。

働きたければ、一生懸命働けばいい。楽したければ、楽できるように一生懸命やればいい。オナ禁したければ、したらいい。オナニーしたければしたらいい。なにもかも選択の問題でしかない。

自分が良いと感じるものに従って、選択するしかない。そして、その選択の際には、視野を広くもって、自分の幸せには、自分の大切なひとの幸せには何が本当に必要か、何が大切かを考えることだ。

いつわりの、その時だけの重要そうなものに引っ掻き回されるな。大抵のことは大した問題ではない。重要なことは、長く続くものだ。心が知っている、心が感じているものだ。

誰かから言われたり、指示されたり、プレッシャーを感じて、重要だと感じるものではない。

自分はすでに重要なものが何か知っているはずだ。そういう意味では以前こんなことも書きました。

オナニーの罪悪感から考察するオナ禁すべき理由および生き方の指針
自慰を始めた頃に感じた罪悪感は、自慰をやめるべきと訴える心の声だった。欲望や嗜好は基本的に従うべき指針であるが、時に人を間違った方向に導く。オナ禁も、人生の重要な選択も迷った時には、体ではなく心を満たす、心の声に耳を傾けるべき。そしてオナ禁は心の声を聞く強力な助けとなる。

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