5年後に死ぬと分かっていたら今日何して過ごしたか、今週オナニーするか。

弱い男の生き方

30年後に死ぬと分かっていたら、あなたが過ごした今日と同じ過ごし方をするか?

10年後に死ぬと分かっていたら、同じ過ごし方をするか?

5年後なら?1年後なら?半年後なら?3ヶ月後なら?1ヶ月後なら?10日後なら?明日なら?

「後悔しない生き方がしたい」

とはよく聞く言葉である。でも、後悔しないためにはどんな生き方をしたらいいのかはよく分からない。

冒頭の質問に対して、

「今日過ごしたのと同じ過ごし方をする」

と答えられるのが、死ぬまでの期間が短ければ短いほど、後悔しない生き方をしているはずだと、北野武が言ったとか言わないとか。つまり、一週間後や明日死ぬとしても同じ過ごし方をしている人は、後悔しないと。

逆に、その答えが20年後でも、30年後でも、「今日とは違う過ごし方をする。仕事行かない」とか答えている人は、後悔多き人生になるだろうと。

我が身を振り返ってみれば、5年後に死ぬと明確に分かっていたら、俺は今日仕事に行かなかったはずだ。10年後でも行っていないかもしれない。

自分はいつも未来のために生きている。今のために生きていない。未来が長く続くから、まだ長く生きるから、今日も仕事に行った。

こんな生き方はだめじゃないかと思いつつ、変えられない。

さて、オナ禁のことを考えてみる。5年後に死ぬとはっきり分かっていたら、今週末にオナニーをするか。しないと思う。少なくとも理性的にはしたくない。オナニーではなく別のことに時間を使いたい。冒頭の質問がオナニーにもあてはまるとしたら、私の場合はオナニーをする人生は後悔をもたらす。

3か月後に死ぬと分かっていてもオナニーしない。だが、1か月以内になってくると迷うかもしれない。ここに矛盾がある。ほんとに余命いくばくかと分かっていたら、人間は刹那的な快楽に走る場合もあるだろう。もうすぐ死ぬと分かっていたら、ヘロインだって、覚醒剤だってやってみたいと思うかもしれない。

刹那的な快楽を追い求めるのが間違えているなんて俺は言わない。幸福はひとそれぞれ違うからだ。

でも、少なくとも、多くの人が、刹那的な快楽よりも、愛を求めているのではないか。性愛のことだけを言っているのではない。

3か月後に死ぬと分かっていたら、家族や恋人や友人に会うと多くの人が答えるのではないか。みな愛を重要だと思っているのだ。

オナニーの何が悲しいといったら、オナニーには愛がない。セックスには愛がある(ことが多い)。

1年後、半年後に死にたくない。でも、1年後、半年後に死ぬと分かったとしても、今日の過ごし方が変わらないくらい真剣に生きたいし、オナニーもしたくない。

 

 

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