天職 CALLING 呼び声

生き方

みんなは自分を呼ぶ何かが聞こえるか。そのcallingは自身の内なる声でもいいし、外側から聞こえる声でもいい。自分の内側から湧き上がる欲求として、やりたいこと、やるべきこと。英語では天職のことをcallingと言ったりするというが、本当にいい言葉だ。

callingを持って、仕事に打ち込む人は、そんな人生を歩む人は幸せだと思う。手塚治虫も司馬遼太郎もイチローも田中角栄も中田ヤスタカも山中伸弥もラリーペイジも何かに導かれるようにきっと一心不乱に仕事に取り組んでいる。それはもはや仕事とすら呼べない。仕事をしているという気持ちではないと思う。遊んでるとか人生そのものとかいう感覚だろう。それを天職と呼ぶんじゃないか。

天職は探すもんじゃない、探して見つけるもんじゃない。すでに自分の内に、外にあるもんだ。自分の本当にやりたいことを探す、本当の自分知りたいのなんて言ってるやつには見つからないんじゃないか。本当の自分なんてない。今、そこに見えてる人間だけが本当の自分だ。自分のショボさ醜さを、そしてわずかにある美しさを信じるしかない。

俺は、小さい頃から小説を書きたいと思ってきた。実際に書いてみたら、実にしょぼかった。書きたいと思っていただけで、本当はたいして書きたくなかった。徹夜でオナニーはできても、徹夜で小説は書きたくなかった。文章を書くことが、何かを表現することが俺の天職なんじゃないかと、現実逃避、自分のしょぼい人生の言い訳、周囲との比較からの逃げ込み先にしてきた。

俺のcallingは何かなど探すな。もしcallingを持っていれば、すでにやっているはずだ。やらずにはいられないはずだ。callingは人間を突き動かす何かだ。探して見つけるもんじゃない。できることは目の前のことを一生懸命やることだけだ。そうしていたら不意にお呼び出しがかかるかもしれない。だが、そんなものは待つな。

恋だセックスだなんて、それしか情熱燃やせないなんて悲しい話だぜ。自分の人生に賭けたうえで、恋だセックスだなんて言うならいいが、callingがないからといって、自分の子供にそれを託そうとするな。恋だセックスだなんてばかり言ってるやつは無意識に体が、自分のcallingを、自分の人生を諦めてるんじゃないか。子供はお前の分身じゃない。子供にお前が持てなかった荷物を背負わせようとするな。どんな荷物かも知らずに。だが、多くの人にとって子供を作り残すことだけがcallingなんだろう。

みんな特別になりたいの。認められたいの。みんなかっこつけたいの。かっこ悪い話だぜ。

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