なぜ俺は自分の品位を落とすようなこんなブログを書くのか(オナ禁6日目)

弱い男の生き方

誰しも経験があるはずだ。自分の書いた文章を後から読んで、身の毛もよだつような、鳥肌が立つような、目を塞ぎたいような気持ちを味わったことが。

その文章はラブレターかもしれないし、日記かもしれないし、ブログかもしれない。

俺は何度もそんな気持ちを経験している。ラブレターでも、日記でも、このブログでもだ。このブログで過去に書いた記事を読んで見ても、自分の書いたものの薄ら寒さに自己嫌悪を禁じえない。

30歳を過ぎたいい大人が、オナニーは最高のエンタメだが我慢するんだ、ソフトM男だ、授乳手コキだなどと何を言う。お母さんの顔が、姉の顔が、ちらつく。家族がこれを読んで喜ぶはずがない。

だから俺はこのブログを実名では書けない。職場の同僚にもばれないようにしか書けない。

だが、そんなものに一体何の価値があるというのだ。なぜ、そんな自分の品位を自ら貶めるような内容をこんなブログに書くのか。そんなものなら、家族に、大切な人に読ませることができないような内容なら、書かねばいいというのに。

金のためではない。最初の数記事に試しに貼った商品リンク以外、広告は貼っていない。なお、複数のオナ禁ブログが、あわよくば金を稼ごうとしているのは誰の目に明らかだろう。

自己表現という名のオナニーが、このブログを書く主な目的だろう。承認欲求とも言えるのかもしれない。私のブログも含めて、オナ禁ブログには、自分で面白いと思うことを、全く笑えぬ冗談めかした言葉で、語ってしまっているものが多い。吐き気を催す文章である。もちろん、そうでないオナ禁ブログも多くあるし、同一人物のブログでも、ある記事はそうでなくても、ある記事はそうであることなど、往々にしてある。そして、俺はそんなブログを否定する気持ちは毛頭ない。人間とはそういうものだからだ。

深夜に書いたラブレターが鳥肌恥ずかしい内容であるが、日中に書いたものがそうでないこともある。どちらが良いというものでもない。お母さんに見せられない側面を誰しも持っている。オナ禁頑張るなんて、職場で言ってるわけでもない。お母さんや姉妹と話す時には、その顔で、働く時は働く男の顔で、みんな頑張っているはずだ。

この世界がキレイなものだけで構成されていないように、一人の人間だってキレイなものだけでできているわけじゃない。例えば犯罪者の中にも美しい感情がもちろんある。完全な美や善がないように、完全な醜も悪もない。

俺はこの自己表現オナニーブログで、一体何を表現したいのか。過去記事をいくつか読んで、恥ずかしい思い、悲しい思い、情けない思い、少しの愛しい思い、を味わう。

本当はもっと、お母さんにも、大切な恋人にも、胸を張って見せられるようなもので、自己表現をできたら思う。全豪オープン4回戦で執念の大逆転を見せた錦織圭のように。

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