M男と生まれ月の関係  学年なんて廃止すべき

生き方

学生の頃、ある女が「3月生まれの男に大した男はいない」と笑いながら教室の充実男達に言っているのを、少し離れた場所でひとり聞いたのをずっと覚えています。その時、自分はぎりぎり2月末生まれだから大丈夫だなと教室の隅で静かに胸をなで下ろしました。と同時に、全然良い女でもないその女が、良い女を気取って一丁前にいい男とはみたいなことを語っているのに腹が立ったのを覚えています。あわせて、胸をなでおろした自分にも腹が立ちました。

しかし、もしかするとその女が言っていることは間違っていないとも感じました。体感として、自分を含む2月とか3月の早生まれの男たちには、気弱な男が多いような気がしていたのです。

それが本当だとすれば、なぜそうなのか。俺たちのこの気弱な性格は後天的なものである可能性とも関わってきます。仮説として考えられるのは、2月3月生まれの男たちは、幼き頃から同学年の男たちと比べ心体の成長が遅れており、自信の形成にあたって、ネガティヴスパイラルに入ってしまうことが考えられます。年齢が上がるにつれ、同学年の、例えば4月5月生まれの男たちとは、成長の差が目立たなくなってくるものの、一度入ったネガティヴスパイラルからはなかなか抜け出せないのです。一つの関連例として、プロ野球選手には4月から夏頃までの生まれ月の人が多く、2月とか3月などはかなり少ないのです。

私が主張したいのは、年齢に基づいた入学年や学年制、ひいては就職年齢、退職年齢など一律にやっているのは極めて馬鹿らしく、非生産的な制度だということです。生まれ月だけではなく、体の成長速度や知的能力の成長速度というのは、人それぞれです。死ぬ年齢も違う。遺伝子レベルで、ゆっくり成長し、長く生き、長期戦・持久戦で遺伝子を残そうという戦略をとっている個体もあれば、できるだけ早く成長を完結させ、短期決戦で勝負する個体もある。ちなみにM男は持久戦タイプが多く、S男には短期決戦タイプが多い気がします。

成長速度も、死ぬ年齢も違うのに、一斉に入学、卒業、就職、退職などやっている。年齢というのはあくまで、成長速度の目安であって、年齢でもって様々なステージを一斉に決めるのは馬鹿げています。

準備ができた時に学び始め、準備ができた時に働きはじめ、働き終える。すでにそういう社会に向かっていっていますが、早く学年制なども廃止されてほしいものです。望まぬM男や気弱な男が少しでも減り、自ら選ぶM男気弱男となり、我らの復権がなされますように。

 

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