オナ禁59日目 エロい文章も良くないか

自慰禁

59日目だ。60日目を目前にまた夢精しそうになった。悲しいかな、夢の中でオナニーをしようとしていて、またはしていて、イきそうになってだめだだめだとふんばった。夢の中だったのでよく覚えていない。何をおかずにしていたのかも覚えていない。ただ、踏み止まったのは、夢の中の自分ながらえらい。

理由はなんとなくわかっている。昨晩、エロを想起させる文章を読んで性的に興奮したことだ。もちろん動画や画像は見ていない。エロい文章を自ら探したわけではなく、ネットで別のことを探していたら、たまたま風俗体験を書いているブログにあたった。

画像も動画も見ないし、体験談としての文章なら問題あるまいと、読んだのが良くなかった。書いている方の性的嗜好が私のそれと、かなりマッチしており、読んでいて興奮してしまった。

また、性的なことだけでなく、他のことも、興味深い観点で分析しており、興味深かった。文章力もあって面白く、それを自身への言い訳として、つまり俺はエロい体験談だけに興味があって読んでいるわけではないとして、つい長く読んだ。

それでも、そのブログに書かれている、授乳手コキ、M性感、寸止め手コキなどの体験談は、言葉だけでも興奮するのに十分だった。言葉の力を感じた。エロ妄想しているのと同じことが脳内で起きたかもしれない。陰茎に血が流れこんだ。

気を引き締めてかからねばならない。エロい文章もだめだ。呼び水となって、エロ動画も見たくなったし、オナニーもしたくなった。もちろんしていないから59日目なのだが。

そこで書かれている風俗にまで行ってみたくなってしまった。私は風俗は行かないと決めているのだが。

思うに、言葉や絵によるエロは、現実のエロを抽象化させ、その人の理想のエロやファンタシーを喚起させる。実際には、そんな理想的なエロはなかなかに存在しえない。実写のポルノも同様にファンタシーだ。

現実のエロは、汚れもあれば、臭いにおいもある。肌も汚いこともあれば、体液がぐろいこともある。ポルノはそんな汚さに蓋をして、抽象化・理想化したイデアだけを見せる。

ポルノに出演している人や風俗で働く人の背後には、我々と同じように生活があり、人生がある。パンツのシミも汚れもあれば、悲しみもある。それをないものにして性的ファンタシーだけを夢見るのはやはり違うのだろう。

汚さも悲しさも含めてエロスを感じられる人間になりたい。

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