50日目の夢精、そう called wet dream

生き方

50日目にして今回のオナ禁ではじめて夢精した。いつもの私はたいてい三から四週目くらいで夢精しているものだから、今回の夢精は長く漏ったほうだ。

とは言っても、溜めていた精液が漏れ出てしまうというのは、やはり悔しいもので、ああ、と嘆くいう声音とともに、夜中3時に起きだして、隣で寝てある妻の目まで覚まさせた。

トランクスの裾から己が精液が垂れ落ちぬよう、ゴムのような陰茎を抑え、階下の厠にそろそろ降りてゆきながら、今しがた私に夢の精を絞りださせた夢の内容物を思いだそうと試みる。

ヨウグルトをスプウンでほdigりだしている時に、お前は性感を感じねばならないというような天の声が聞こえて射精するという意味不明なものだった。

だいたい、私はエロい夢などほとんど見ない。

夢精は悪くないと信じてる。俺は自分の体のfunctionを信じてる。出すべきだから体が排出した。

エネルギーは落ちていない。今日もエネルギーのもやもやを発散させる手立てがなく運動に出た。運動場で駆け足を繰り返す。

このエネルギーは、人間に行動を起こさせる。それが建設的なものに結びつく時、社会に有用なものになるとき、賞賛と富を得る。

ただ単に街に出て、女を眺め見るという生産性のない行動をさせることとあるうる。

生産性てなんだ?社会に有用てなんだ?

そんなもの、つきつめて考えれば一つもありはしない。

co2を排出する呼吸は、植物の世界にとっては有用であり、かつて酸素は世界にとって猛毒だった。

その有用性、生産性なるものは、所詮誰にとって有用であるかでしかない。

だから、結局、俺たちは自分の好きなことを突き詰めてやってみるしかないのだ。その行為が犯罪行為でないことを願う。その行為が多くの人にとって良いことであることを願いながら。

そう、その願いこそが、wet dream

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