海辺の街の美しさ

生き方

昨日も今日も、俺の住む街はとても美しい天気であった。

単純に晴れているだけでなく、海辺の街のような風を感じた。太陽の光に照らされて、木々の緑がきらめき、川面は陽の光を金色に反射させていた。

これは俺の主観的なものだ。例えば昨日今日体調が悪いひとにとったら、同じ景色を見ても美しく感じなかったかもしれない。

同じポルノを見てもトキメキを感じる時とそうでない時があるように。射精前にはあれほど興奮させられた乳房が、射精したあとどうでもよくなるように。

犬のケツや乳房を見ても普通の人達は全く性的に興奮しないだけでなく、そもそも美醜の判別ができない。しようとも思わない。人間の雌のケツやおっぱいには性的に興奮し、美しさを感じる。

俺たちが見ている世界は、つまり俺たちの生存に必要かどうかの価値観でしか見ることができていない。極端に言えば、俺たちの生存に有用なものは美しく正しく、生存を脅かすものは醜く悪いものになる。

本当は、そこに美醜も善悪もなく、ただ一律に存在しているだけなのに。いな、その存在の間には境界すらなく、存在すらしていない。それが空てもんじゃないのか。

俺たちは世界を自分の見たいようにしか見られない。

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